西川美和監督は、私の好きな監督で、
新作は必ず見るようにしている。
『蛇イチゴ』(2002年)監督・脚本
『ゆれる』(2006年)監督・脚本
『ディア・ドクター』(2009年)監督・脚本
『夢売るふたり』(2012年)監督・脚本
と、西川美和監督作品は秀作揃い。
しかも、漫画や小説などの原作ものが全盛の邦画界で、
オリジナル脚本で勝負し続けている姿勢が素晴らしい。
そして、女優と見まがうばかりの美貌。(コラコラ)

その西川美和監督の新作『永い言い訳』が10月14日に公開された。
交通事故で妻が他界したものの、悲しみを表せない小説家が、
同じ事故で命を落とした妻の親友の遺族と交流を深める様子を描いた作品とのことで、
主演の小説家を本木雅弘が、
小説家の妻を深津絵里が演じ、
その他にも、私の好きな
黒木華、堀内敬子、山田真歩、松岡依都美なども出演しているという。
〈早く見たい〉
と思った。
しかしながら、
佐賀では、かなり遅れて、109シネマズ佐賀で、11月26日から上映が始まった。
そして、先日、ようやく見ることができ、
映画を見る歓びを味わったのだった。

人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)は、
長年連れ添った妻・夏子(深津絵里)が旅先で突然のバス事故に遭い、
親友と共に亡くなったと知らせを受ける。
だが、夏子とはすでに冷え切った関係であった幸夫は、
その時、不倫相手と密会中だった。

だから、涙も流れず、
妻を亡くして悲しみにくれる夫を演じることしかできなかった。

そんなある時、
幸夫は同じ事故で亡くなった妻の親友・大宮ゆき(堀内敬子)の遺族と出会う。
幸夫と同じように妻を亡くしたトラック運転手の大宮陽一(竹原ピストル)は、
幼い二人の子どもを遺して旅立った妻の死に憔悴していた。

その様子を目にした幸夫は、
ふとした思いつきから、大宮家へ通い兄妹の面倒を見ることを申し出る。
保育園に通う灯(白鳥玉季)と、

妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平(藤田健心)。

子供を持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、
虚しかった毎日が輝きだす。


妻を亡くした男と、母を亡くした子どもたち。
その不思議な出会いから、「あたらしい家族」の物語が動きはじめる……

東日本大震災以降、
“家族の絆”が声高に叫ばれるようになり、
その後に起こった災害の時にも、
家族との関係(絆)をマスメディアでは美談として語られることが多くなった。
西川美和監督は、そのことに違和感があったという。
2011年の東日本震災から半年ほど経過した頃、被災して家族や仲間を失われた方々の痛ましい姿を報道で目にしました。それについて、気の毒だと感じながらも、綺麗なエピソードばかりが伝えられることに違和感を感じたんです。人間同士の関係性は綺麗な形ばかりではなく、後味の悪い別れ方をしたまま相手が帰らぬ人になってしまったという不幸も、あの突然の災厄の下には少なからず存在したのではないかと。そしてそういう「暗い別れ」は誰にも明かされず、打ちあけられないままに埋もれていったのではないかと。私自身が普段、身近な人に対してぞんざいな態度のまま別れるということも多いのでそう思ったところもあるのかもしれません。
それで私は、大きな悲しみの物語が大声で語られている下で封じ込められた、誰にも言えないような別れ方をした人の話を書いてみようと思ったんです。最初はそれがきっかけでしたね。
この物語を創るキッカケをこのように語っていたが、
西川美和監督らしいなと思った。
過去の西川美和監督作品、
『蛇イチゴ』『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』などに共通するテーマは、「嘘」。
耳あたりの良い綺麗なエピソードには、
きっと美談の裏に隠された「嘘」もあるに違いない……
そういう発想ができるのは、西川美和監督だからこそ……と思った。
そして、『永い言い訳』では、
バラエティ番組などでも活躍する人気小説家の男が、
妻の死を知らされても、妻とはすでに冷え切った関係であった為、涙も流れず、
妻を亡くして悲しみにくれる夫を演じるという「嘘」から始まる物語である。
世間に対して「嘘」の自分を見せるということは、
とりもなおさず、自分にも「嘘」をつくということである。
この映画『永い言い訳』には、
主人公の衣笠幸夫(本木雅弘)だけでなく、
幸夫と同様に妻を亡くしたトラック運転手の大宮陽一(竹原ピストル)も、
その息子の真平(藤田健心)も、
自分に「嘘」をつきながら生きている。
そして、幸夫の妻・夏子(深津絵里)も、
幸夫に対してある「嘘」をついていた。
誰もが、日常生活において、少なからず「嘘」をついている。
意識的な「嘘」もあれば、無意識の「嘘」もある。
世間体やプライドを守るための「嘘」もあれば、
生きるために仕方のない「嘘」もある。
「嘘」をつかなければ、生きていけないような辛いことに遭遇することもある。
他人への「嘘」、自分への「嘘」……
日常には、様々な「嘘」が氾濫している。
映画『永い言い訳』の前半は、この様々な「嘘」が描かれている。
そして、後半は、真実とまではいわないまでも、各人の「本音」が描かれている。
「嘘」をついている者同士が触れ合っているうちに、
次第に、相手の「本音」が見えてくるようになる。
相手から「本音」を指摘されることもあれば、
自分でその「本音」に気づくこともある。
出版社の編集者や、夏子の職場仲間から、幸夫に「本音」がぶつけられ、
陽一の「本音」、真平の「本音」、夏子の「本音」が露わになった時、
幸夫の「永い言い訳」の期間も終わりを告げるのだ。
考えてみるに、
小説も、映画も「嘘」である。
真実を描くための虚構である。
主人公の幸夫を、「嘘」を商売とする小説家にしたのも、故あることだったのだ。
原作である小説『永い言い訳』(西川美和著・直木賞候補作)には、ラスト近くに、
この「嘘」と「真実」を語る重要なシーンがある。
少し長くなるが、引用してみようと思う。(単行本286から288頁)
事件(映画では事故)を起こした大宮陽一を、
幸夫が、陽一の息子・真平と迎えに行く列車の中での会話。

真実が白日の下に晒されて、満ち足りた気持ちに浸るのは往々にして晒した当人だけである。一度ひらかれてしまえばふたたび裏には返せないのが「真実」だ。嘘つきと思われても、後で返す裏が残されているほうが、まだ未来があるのではないか。
しかし鏑木優子に灯を預けた後、幸夫とふたり電車を乗り継いで山梨の奥地にむけてことことと走る下り列車の中で差し向かいになると、真平はおもむろに口を開いた。
「幸夫くん」
「うん」
「ぼく、バス事故が起きた後、何でパパじゃなくて、ママなんだよ、って思ったことあるんだ」
そう言って、真平は窓の外を流れてゆく谷間の風景に、視線を逃した。衣笠幸夫は決意した。
今こそ真実を語るときだと。
「それは、誰よりパパがそう思って来たことだよ。君が思うまでもない。きっと最初から、君の百倍も千倍も、そう思って来た。どうせ死ぬなら何で自分じゃなかったかって、ずっとひとりで苛まれながら、それでも必死で、ハンドル握って、踏ん張ってきたんだ。解るよな」
瞬きもせずじっと遠くを見たままの真平の目から一筋、音もなく透明な涙がこぼれ落ちた。
「でも、人間のこころだからさ。強いけど、弱いんだよ。ぽきっと折れるときもあるんだ。大人になっても、親になっても。君らのこと、抱きしめても足らないくらい大事でも。解ってくれるか」
真平は微かに頷き、その拍子にもう片方の目からも涙が落ちた。幸夫は乗換駅の売店で買った冷凍みかんをひとつ取り出して、指先で少しずつ剥き始めた。車内の暖房に温められて、皮にまとった薄い氷の膜がゆるく溶け出していた。
「大丈夫だ、真ちゃん。みんな、生きてりゃ色々思うもの。汚いことも、口に出来ないようなひどいことだって。だからって、思ったことがいちいち現実になったりするわけじゃない。ぼくらはね、そんなに自分の思い通りには世界を動かせないよ。だからもう自分を責めなくていい。だけど、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。簡単に、離れるわけないと思ってても、離れる時は、一瞬だ。そうでしょう?」
皮をむかれた紅い実の上にじっと視線を落としたまま、幸夫は言った。
「今はぼくもわかる。だからちゃんと大事に、握ってて。君らは。絶対」
予告編を見た段階では、
それほど興味のある題材ではなかったが、
映画を見終わった今は、
とても私好みの作品であったことが判った。
機会があったら、また見たい……と思える作品であった。

人気作家の津村啓こと衣笠幸夫を演じた本木雅弘。

予告編のオーバーアクションを見た時、

〈やっちゃったかな~〉
と思ったが、(笑)
そんなことは全然なかった。
予告編にはオーバーアクションの部分だけを集めてあるので、
なんだか底の浅い軽薄な男に見えたが、
世間に対しても自分に対しても「嘘」をつかなければならなかった繊細な男を、
本木雅弘は実に巧く演じていた。

幸夫と同じく妻を亡くしたトラック運転手の大宮陽一を演じた竹原ピストル。
ミュージシャンであるが、
俳優としても、熊切和嘉監督作品を中心に映画に出演していて、
私も、このブログにレビューを書いている2作、
『海炭市叙景』(2010年)
『私の男』(2014年)
で、彼を見ている。
この時は脇役だったので、相応の印象しかなかったが、
今回はかなり重要な役で、ややぎこちなさはあったものの、
大宮陽一という男を、リアルな生活感のある男として演じ、素晴らしかった。
最近は生活感のないのっぺらぼうの男優が多いので、
リリー・フランキーやピエール瀧のように、俳優を超越した男優として、
竹原ピストルには、これからも映画に出演して欲しいと思った。

幸夫の愛人・福永智尋を演じた黒木華。
大好きな女優なので、楽しみに逢いにきたのだが、
愛人役とはいえ、
「西川美和監督、黒木華になにさせるねん!」
と言いたくなるほど、際どいシーンがあり、
彼女を清純派のように思っている私としては、
ちょっと目のやり場に困るほど困惑したのだった。
出演シーンは少ないが、
さすがの存在感で、本作でも確かな爪痕を残している。

夏子(深津絵里)と同じ美容院で働いていた栗田琴江を演じた松岡依都美。
『凶悪』(白石和彌監督・2013年)で、
須藤(ピエール瀧)の内縁の妻・遠野静江を演じた時は、
官能的肉体とやさぐれ感が秀逸であったし、
『日本で一番悪い奴ら』(白石和彌監督・2016年)で、
ススキノのホステス役を演じた時は、
諸星(綾野剛)が、村井(ピエール瀧)から、刑事の“イロハ”を教えられるシーンで、
村井がホステス(松岡依都美)の躰をまさぐりながら説教するのだが、
「私の躰を使ってレクチャーするの、やめてよ」
というシーンが秀逸であった。
出演シーンは少ないものの、両作で強烈な印象を残した松岡依都美は、
私にとって、また逢いたい女優になっていた。
そして、本作『永い言い訳』でまた逢うことができて、嬉しい限りなのである。
『永い言い訳』では、
事故死した田舎で夏子を、幸夫が勝手に現地で荼毘に付したことをなじる役であったが、
このシーンがとても良かった。
私の尊敬する川本三郎氏も『キネマ旬報』の連載記事で褒めておられたと思うが、
妻には妻の交友関係があり、
それをまったく知らなかった(気にもかけていなかった)幸夫に、
それを知らしめる演技が素晴らしかった。
文学座に所属する舞台女優で、舞台が主戦場ではあるが、
彼女も、これからも映画にたくさん出演してもらいたいと思った。

この他、出演シーンが少ないが、
幸夫の妻・小説家の妻・夏子を演じた深津絵里、

夏子と同じ事故で亡くなった夏子の親友・大宮ゆきを演じた堀内敬子、

鏑木優子を演じた山田真歩などが、
印象深い演技で、脇を締めていた。

ほとんどの映画館で上映終了しているが、
地方や、都会の一部では、2016年12月~2017年2月にかけて、
まだ上映している映画館もあるようだ。(映画館情報はコチラから)
ぜひぜひ。