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『淳子のてっぺん』(唯川恵) ……山を愛するすべての人に読んで欲しい小説……

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直木賞作家・唯川恵が、
田部井淳子をモデルに書き上げた長篇小説である。
田部井淳子を知らない人はいないと思うが、
簡単に説明すると、

女性として、世界で初めて、“世界最高峰エベレスト”および“七大陸最高峰”への登頂に成功したことで知られる登山家で、
その後も、数々の偉業を成し遂げ、
2012年にがんを患ってからも、
東日本大震災の被災地・東北の高校生とともに富士山に登るなど、
生涯現役を貫いた。
2016年10月20日、腹膜がんにより死去。(享年77歳)


田部井淳子を小説として描いているので、
タイトルは『淳子のてっぺん』となっているものの、
苗字の方は“田部井”ではなく“田名部”としてあり、
その他の登場人物も、違う名前に変えてある。(一部、本名もあり)
私自身、田部井淳子の著書は少なからず読んでいたし、
〈こうして小説として描く意味があるのか……〉
と思ったが、
あの直木賞作家・唯川恵が書いたとなれば、話は別だ。
ワクワクしながら読み始めたのだった。


1939年(昭和14年)、淳子は、福島県の三春町で生を享ける。
背の低い淳子のあだ名は、“ちびじゅん”。
幼馴染みの勇太と、木登りや岩登りなどをして元気に育つ。
1949年(昭和24年)の夏休みに、淳子は、初めて山登りをする。
担任の田中先生が引率する課外授業で、那須岳へ登ったのだ。
以来、山登りに強い関心を持つようになる。
東京の女子大の進学した淳子は、
東京近郊の山々に登って益々山の魅力に取り憑かれ、
出版社に就職した後も、山岳会に入会してより難度の高い山を目指すようになる。
ただ、山が好きで、
会社勤めをしながら暇さえあれば山に登っていた淳子。
山が好きだということをのぞけば、ごく平凡な女性の淳子が、
女性だけの登山隊でヒマラヤを目指すことになる。
最初の目標はアンナプルナ。
「女なんかに登れるはずがない」
という言葉に反発して挑戦したが、
初めての海外遠征は、
資金繰り、寝る暇もない膨大な準備、女性隊員同士の嫉妬、軋轢、分裂と、
大変なことだらけ。
登頂は成功したが、苦い物が残った。
複雑な思いでいる淳子に
「ねえ、エベレストに行かない?」
と声をかけたのは、
ともにアンナプルナで苦労した隊長の明子だった。
成功すれば、女性として世界初だ。
山男である夫の正之に
「行くべきだよ」
と励まされ、
淳子は決意を固める。
アンナプルナ以上の困難を乗り越え、
8848メートルの頂きに立った淳子の胸に去来したのは……



430頁を超える分厚い本だったので、
〈面白くなければ途中で止めよう〉
と思って読み始めたのだが、
最後の頁まで一気読みであった。
これほど面白く読めるとは、想像していなかった。
さすが直木賞作家!

【唯川恵】
1955年、石川県生まれ。
金沢女子短期大学(現金沢学院短期大学)卒業後、
銀行勤務などを経て、
1984年『海色の午後』で第3回コバルト・ノベル大賞を受賞しデビュー。
2002年『肩ごしの恋人』で第126回直木賞受賞。
2008年『愛に似たもの』で第21回柴田錬三郎賞受賞。
『燃えつきるまで』『雨心中』『テティスの逆鱗』『手のひらの砂漠』『逢魔』『啼かない鳥は空に溺れる』など著書多数。

このような山を題材にした小説は、
作家自身の山登りの経験の有無が大きく影響してくるが、
唯川恵の登山との出会いは、2003年の軽井沢移住にまでさかのぼるという。
愛犬をよりよい環境で飼いたいという思いから、軽井沢に移住を決めたのだが、
移住後、山が好きな夫に誘われて浅間山へ初めての登山をする。
このときは、あまりにもつらくて途中で挫折するが、
その後、愛犬の死をきっかけに、再び登るようになったという。
心の友を失った唯川恵の立ち直りのきっかけになったのが山登りだったのだ。
今では、月に1回は、浅間山を中心に山登りをしているそうだ。
田部井淳子とは、軽井沢で出会った人からのつながりで知り合ったとか。
そのころ、
〈女性の人生を追ってみたい〉
という思いが強くなっていた唯川恵は、
歴史上の人物でモデルになりそうな人を探してみるが、
なかなかピンとくる人がおらず、
そんなときに出会った田部井淳子に魅せられ、思い切って、
「小説に書かせてほしい」
と頼んだのだという。
田部井淳子から、
「私も小説として楽しみますから、好きに書いてください」
と承諾をもらい、
2016年1月から2017年8月まで、
「信濃毎日新聞」「高知新聞」「熊本日日新聞」「秋田魁新報」「北國新聞」「中國新聞」「神戸新聞」の地方7紙に連載。
田部井淳子本人も闘病しながら愛読していたという。
だが、田部井淳子は、新聞連載中の2016年10月20日に死去。
小説を最後まで読むことは叶わなかった。

事あるごとに、
「女なんかに……」
と言われ続けてきた淳子は、
女性だけの隊で頂きを目指す。
だが、アンナプルナのときも、エベレストのときも、
準備段階から仲間内でもめ、登り始めてからもいがみ合う。
女性同士だからといって、すべてがうまくいくわけではないのだ。
単独または少人数で、ベースキャンプから一気に登って下る“アルパインスタイル”が主流になった現代では少なくなったが、
大規模で組織立ったチームを編成して行う“極地法”で登っていた当時は、
この手の葛藤が多かった。
特に、最終アタックメンバーを決めるときには、感情がむき出しとなる。
大勢で来ても、山頂に立てるのは一人か二人のことが多い。
「百万円かけて荷上げに来たわけじゃない!」
と怒り出すメンバーがいて当然なのだ。
この女同士の嫉妬、軋轢、葛藤を、
唯川恵は実に巧く描いている。
田部井淳子の著作にも、この女同士のもめごとは記されているが、
やはり当事者が書いているので、相手への遠慮や配慮があり、
それほど詳細には書かれていない。
だが、小説として描かれた『淳子のてっぺん』では、遠慮がない。(笑)
これでもか……というくらいに詳しく書かれている。
それが面白い。
きれいごとばかりではないのだ。
淳子自身の内面の葛藤も余すところなく描かれている。

女同士の葛藤という点では、今まで書いてきたものが生きたなと思いました。

と唯川恵も某インタビューで答えていたが、
こういう部分にこそ唯川恵の真骨頂があるように思った。

唯川恵が、
「小説に書かせてほしい」
と頼んだとき、田部井淳子は、
「私も小説として楽しみますから、好きに書いてください」
と答えたと先程書いたが、
実は、ひとつだけ条件を出している。
それは、
「私をヒーローにしないでね」
ということだった。
この手の小説は美談ばかりになりがちだが、
唯川恵は「人間・田部井淳子」として描いているので、
単なるヒーロー譚になっていないのがイイ。

主人公の淳子の信条は、「一歩、一歩」。
一歩、一歩の積み重ねが“登山”なのだ。
それは、標高の低い里山でも、世界最高峰のエベレストでも変わらない。

すべては一歩から始まる。淳子はそう思って山に登り続けて来た。目的に到達するために一歩踏み出す。そして、もう一歩、さらに一歩。それがどんなに小さな一歩であろうと、足を進めることで掴めるものが必ずあるはずだ。それを淳子は山で感じてきた。(7頁)

「急がなくていいの、ゆっくりでいいの、踏み出すその一歩が、生きている証なんだから」(17頁)

山登りが好きな人には、心に沁みていくる言葉だ。

「そうだよ、山にはいろんな山があるんだ。遠くから見てるだけだと、みんな同じように見えるけど、登ってみればわかる。同じ山はひとつとしてないんだ」(31頁)

このように、この小説には、アフォリズムに満ちている。
私は読書中は気に入った文章があると付箋紙を貼りながら読み進めるのだが、
この小説は付箋だらけになってしまった。
それほど心に響く言葉が多かったということになる。


最後に、タイトルの『淳子のてっぺん』だが、
淳子の“てっぺん”とはどこだったのか?
それは、247頁に、
淳子の夫・正之の言葉として出てくる。
(実際の田部井淳子の夫は田部井政伸)
この小説の、もう一人の主人公は、間違いなく、淳子の夫・正之だ。


なぜなら、この夫なくして、皆が知る“淳子”はなかったからだ。
その夫の言葉が、読者の心に沁みる。
本の帯には、
「すべての女性の背中を優しく押してくれる、感動長篇!」
と書かれているが、
女性だけでなく、男性にも読んで欲しい一冊である。
ぜひぜひ。

「坂道のアポロン」展&三度目の映画鑑賞  …小松菜奈の豊かな表情に魅了される…

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4月4日(水)に「海抜0メートルから登る隠居岳」を終えた後、
佐世保の島瀬美術センターで開催されている「坂道のアポロン」展に行ってきた。




入口。


映画パネルがずらり。


いいね~


こちらは、原作本のコーナー。


原作者・小玉ユキのサイン色紙。


このコーナーで目を引いたのは、


やはり台本。


こちらは、東高の制服。


劇中では、実際の佐世保北高校の制服が使用され、
多くの生徒がエキストラとして参加している。


文化祭のプログラムも……


こちらは、ムカエレコード店の地下室(練習用の防音室)を再現。


思い出されるな~


そして、実際に使用された衣裳も展示されていた。


左は、川渕千太郎(中川大志)、
右は、西見薫(知念侑李)の衣装。


こちらは、迎律子(小松菜奈)の衣装。


この衣装は、海水浴に行ったときに使われていたね。








小松菜奈のサイン色紙も展示されていた。


実物は初めて見た。
嬉しい。


これは、西見薫(知念侑李)が迎律子(小松菜奈)に、
「図書館で一緒に勉強しよう」
と、誘いの電話をしたときに使われた赤電話。


そして、こちらは、ムカエレコード店の電話で、
小松菜奈が受けた電話。




この他にも、映画で使用された様々なものが展示されていて、
楽しく見学することができた。




このあと、シネマボックス太陽に行き、
『坂道のアポロン』の3度目の映画鑑賞をした。(笑)

「何回も見て飽きないのか?」と思われるかもしれないが、
まったく飽きないから不思議。
むしろ、3度目の今回が一番感動したような気がする。
特に、
文化祭で、西見薫(知念侑李)と川渕千太郎(中川大志)がセッションするシーンでは、
涙があふれて止まらなかった。

このセッションを見ている迎律子(小松菜奈)の目にも涙があふれているが、
この撮影シーンのときのことを、小松菜奈は、次のように語っている。(パンフレットより)

クライマックスの文化祭のシーンでは、新鮮な気持ちで演奏を聴きたかったから、私は本番ギリギリまで極力演奏を聴かないようにしていたんです。実際、ピアノの音が流れて来てそこにドラムが乗っかっていくと、じわっと温かいものがこみ上げてきて。撮影も終わりの方だったのでこれまでのいろんなことを思い出して、自然と涙があふれてきました。


ちなみに、この映画で小松菜奈が流した涙は、すべて本物の涙で、
クランクアップのときには、小松菜奈だけではなく、全員が泣いていたとか。

私は「クランクアップです」って言われる前から、もう泣き始めてました(笑)。それは泣こうと思ってではなく、撮影中にいろいろ大変なこと悔しいこともあったけど、皆でそれを乗り越えてきたなっていう涙だったと思います。スタッフもキャストも本当に全員の仲が良くて、しゃべってない人が誰もいないみたいな組だったんです。撮影が終わりに近づくにつれ皆が「寂しい寂しい」って言い合うような現場ってあまりないと思うんですが、スタッフも私たち一人一人を愛してくれたんだなって。毎日が大切な宝物のような時間でしたし、また佐世保に行くことがあったら思い出すんだろうなと思います。いつまでも心に残り続ける撮影でした。(パンフレットより)

「また佐世保に行くことがあったら思い出すんだろうなと思います」
とは、嬉しい言葉だ。
映画を見ていて、小松菜奈の佐世保弁が不思議と馴染んでいて、
あまり違和感がなかったのだが、
調べてみると、九州に縁があることが判った。

小松菜奈はハーフに間違われることが多く、
よく「ハーフではないですか?」と訊かれるそうだが、
自身のブログで、
ハーフでもクオーターでもなく、純粋な日本人で、
「父親は佐賀県出身、母親は沖縄県出身」
と答えている。
彼女自身は東京出身だが、九州・沖縄の血が流れていたのだ。
もしかしたら、父親の実家に遊びに行ったことがあるのかもしれない。
父親の佐賀弁を聴いたこともあるだろうし、
佐賀弁と佐世保弁は近いので、
それほど苦労せずに佐世保弁が話せたのかもしれない。


番宣で、知念侑李と中川大志が、
「我々二人がセッションしたりしているときの、それを見守っている律ちゃん(小松菜奈)の表情がイイんだよね」
と言っていたので、
3度目の鑑賞では、小松菜奈の表情をずっと見ていたのだが、


本当に表情豊かで、知念侑李と中川大志が演技しているときも、
ただ見ているのではなく、いろいろな表情をしていて、
ひとつとして同じ表情がなかった。


これは、1度目の鑑賞では気づかなかったことで、
複数回見ての収穫だ。


小松菜奈はモデル出身なので、
モデル時代にいろんな表情をさせられたので、
それが役に立っていたのかも……とどこかで答えていたが、
先入観としてクールビューティなイメージがあったので、
この作品で完全にイメージが覆された。


公開から1ヶ月が過ぎ、
『坂道のアポロン』を見たい人はほとんどの人が見ていると思うので、
最後にちょっとネタバレするが、
この映画は、迎律子(小松菜奈)が歌い出そうとする瞬間でラストシーンを迎え、
最後の最後まで小松菜奈の歌声は聴くことができない。
このことに関しては、賛否両論あるだろうが、
『坂道のアポロン』に関しては、あの終わり方で良かったのではないかと思っている。

先日買った手嶌葵のベストアルバムを見ていたら、
その中に、アニメ『坂道のアポロン』挿入歌「バードランドの子守唄」があった。
「バードランドの子守唄」(Lullaby Of Birdland)は、
1950年代に作曲されたJAZZスタンダートの1曲で、
女性ヴォーカルの代表的な曲であるが、
これが実に好い。
アニメ版の第5話の、
薫が音信不通の母に会うために東京に向かうというエピソードの中で使われており、
(このエピソードは映画にはない)
薫が母へと思いを伝えるシーンに手嶌葵の美しい声が流れる。
ひとつのアイデアとして、
迎律子(小松菜奈)が歌い出そうとする瞬間でラストシーンを迎えた後、
この手嶌葵の歌声をエンドロールに流す手もあったのではないか……
(「バードランドの子守唄」ではなく、「My Favorite Things」でもかまわない)
もちろん、小松菜奈の歌声であれば、なおイイのだが……
小田和正の「坂道を上って」もすごく好い曲なので、
これはこれで良かったのではあるが、
迎律子(小松菜奈)が歌い出そうとする瞬間で映像が切れ、暗転し、
エンドロールが始まると同時に小松菜奈か手嶌葵の歌声が流れたら……
こんなことを夢想した3回目の映画鑑賞であった。

手嶌葵による「バードランドの子守唄」(Lullaby Of Birdland)

雨上がりの作礼山 ……ゆるゆる山歩(散歩)で、新緑とミツバツツジを楽しむ……

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昨日(4月14日・土曜日)から、娘たち(2人)や孫たち(4人)が泊りがけで遊びに来ていた。
今日(4月15日・日曜日)は、朝から雨が降っていたので、
午前中は、図書館へ行ったり、孫たちと遊んだりして過ごした。
昼近くになって雨が止んだので、
2時間ほど作礼山で山歩(散歩)してきた。
(長時間だと孫たちからブーイングされるので……)

9合目駐車場から歩き出す。


途中から左折して、東峰直登コースへ。


雰囲気の好い山道。


新緑も美しい。


東展望岩に到着。


展望もまずまず。


天山も見えた。


東峰の方へ、一旦下って、登り返すと、


東峰の祠が見えてきた。


東峰に到着。


ここからも天山が見えた。


西峰の方へ歩き出す。
東峰と西峰を繋ぐこの道が美しい。


西峰(作礼山山頂・887.1m)に到着。




ここからは、気ままに、ゆるゆる山歩(散歩)。


美しい林の中を歩いて行く。


好い雰囲気。


沢沿いの道に行きあたる。




ここでは、オオキツネノカミソリの葉を見ることができる。


群生はしていないが、方々に点在している。
(夏に花が咲いているのも確認している)


マルバスミレも咲いていた。


この花に逢えると、なんとなく嬉しい。


いいね~


シュンランはもうすぐ開花。


今日は、とにかく新緑が美しかった。


雨上がりの新緑の美を堪能。
今日は、もうこれだけで満足なのだが、


ミツバツツジにも出逢うことができた。


嬉しいね~


4月下旬頃に咲くイメージがあるので、ちょっとビックリ。


なんだか得した気分。


今日も「一日の王」になれました~

天山 ……ミツバツツジやバイカイカリソウを楽しんだ後に、サバノオの群生地へ……

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4月15日(日)に、作礼山で、ミツバツツジを楽しんだ。
〈天山でもミツバツツジが咲き始めているに違いない……〉
そう思ったら、天山にも行きたくなった。
天山でミツバツツジを手軽に楽しめるのは、七曲峠からのルート。
今日は、久しぶりに、七曲峠の登山口から歩き出すことにしよう。

登山口からしばらく歩くと、


ほどなくミツバツツジが現れた。


いいね~


新緑も美しい。


新緑とミツバツツジのコラボ。


大きな樹木の間に咲いていたミツバツツジをパチリ。


ゆっくり登って行く。


尾根道に出ても、ミツバツツジがお出迎え。


太陽の光を浴びて、ミツバツツジが輝いている。




花が密に咲いているミツバツツジ。


いいね~


今日出逢った中で、最も美しかったミツバツツジ。


近寄る。


もっと近寄る。


青空と一緒に。
美しい~


モクレン科の花のように見えるけれど、
これは新緑になる前の、まだ産毛に覆われた芽吹いたばかりの葉だ。


振り返ると、彦岳が……
カッコイイ!


ミツバツツジが途切れた辺りから、
バイカイカリソウを目にするようになった。




見ているだけで、頬がゆるんでくる。




アケビの花や、


セントウソウの花も美しい。


もう終わっていると思っていたが、
ホソバナコバイモはまだ咲いて待っていてくれた。


しかも、たくさん。


カワイイ~


ここから右折して、


いつもの場所へ。


こんな風景を見ながら、珈琲タイム。


本日の「天山南壁」。


山頂へ向かう。


もうすぐ山頂。


天山山頂に到着。
平日ということもあろうが、誰もいなかった。


これから、ちょっと散歩道へ。


可愛いスミレが咲いていた。


ヤマルリソウが咲き始めていた。


色が微妙に違うね。




見ているだけで楽しい。


ジロボウエンゴサクや、


ツクシタニギキョウなども咲いていた。


最後に、サバノオの第二群生地へ行ってみる。


おっ、咲いている~


足の置場に困るほどたくさん咲いている。


いいね~


美しい~


サバノオは、見ているだけで幸せな気持ちになる。


ずっと見ていたい感じ。


たくさん咲いているので、
どれを写真に撮ろうかと迷う。


まあ、どれを撮っても絵になる。


それでも、今日一番の別嬪さんを探す。


そして、ついに見つけた。
今日も「一日の王」になれました~

映画『スリー・ビルボード』 ……予測不能の展開が秀逸な傑作……

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3月下旬、
コンビニで立ち読みしていた『週刊文春』(3月29日 春の特大号)を買った。


巻頭の「原色美女図鑑」というグラビアが広瀬すずだったからである。


あまりにもキュートだったので、衝動買いしてしまった。(コラコラ)


『週刊文春』には、宮藤官九郎の「いまなんつった?」というコラムがあって、
私が買った号は連載481回目であった。


このコラムの書き出しを見て、「おっ!」と思わず声が出た。

同じ映画を2度観ることが増えました。そんなに暇じゃないのに。

私も、最近、『坂道のアポロン』を何度も見に行っていたので、
〈仲間じゃん!〉
と思った。

去年2度観したのが『アトミック・ブロンド』『希望のかなた』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『お嬢さん』など。DVDで見返したのも入れたら、かなりの数になる。
寝ちゃったとか、内容を覚えてないとかではないんです。空いた時間に映画を一本観ようと思った時、一か八かの賭けに出るより、間違いなく面白かったアレをもう一度嚙みしめたいと思うようになったんです。
歳食っちゃったんでしょうか。人生の残り時間を無駄にしたくない。ラーメンもそうですね。胃も弱ってきてるし、あと何杯食えるか分かんないし、新しい店はもういいや。

ここまで読んで、
〈宮藤官九郎って何歳?〉
と思って調べてみると、
1970年7月19日生まれの47歳(2018年4月現在)であった。
私からしたら、
〈まだ若いのに……〉
と思ったが、
47歳で「人生の残り時間」を考えるとは、
〈さすがだな〉
とも思った。

映画の2度観は心の余裕が違います。ミステリーなら犯人知ってる。そうそう、ここで騙されそうになるんだよな。ミュージカルなら軽く鼻歌も出る。知ってるもん、この曲。ちょっとした優越感。1回目に気づかなかった細かい台詞やギミックも発見できる。

〈そうだよな~〉
と思いながら読んでいた。

そして2度じゃ飽き足りず、3度観してしまった映画があります。
『スリー・ビルボード』
娘をレイプされ、殺された母親(フランシス・マクドーマンド)が街道沿いの看板を3枚買い取り、警察の怠慢を告発するコピーを掲載したことで巻き起こるすったもんだ。あとは各自で検索して下さい。
1回目、観終わった時、完璧だと思った。脚本、演出、編集、何もかも。悔しくて2回目は粗探しのつもりで観た。だけどやはり完璧だった。少しもダメな所がない。

この『スリー・ビルボード』は、
昨年(2017年)の「第74回ベネチア国際映画祭」で脚本賞、
同年の「トロント国際映画祭」でも最高賞にあたる観客賞を受賞するなど、
各国で高い評価を獲得し、
今年(2018年)の3月に発表された「第90回アカデミー賞」では、
主演女優賞、助演男優賞の2部門を受賞した映画である。
佐賀では上映館がなく、
シアターシエマでも上映予定がない作品であった。
〈いつかは見たい!〉
と思いながら日々過ごしていたのだが、
『坂道のアポロン』を佐世保で見たいと思い、
(佐世保で唯一の映画館である)シネマボックス太陽の上映作品を調べていたら、
なんと『スリー・ビルボード』がリストアップされているではないか!
ということで、先日、佐世保に行ったときに、
ようやく『スリー・ビルボード』を見ることができたのだった。



ミズーリ州の田舎町エビング。
寂れた道路に立ち並ぶ、忘れ去られた3枚の広告看板に、
ある日突然メッセージが現れる。
「レイプされて死亡」
「犯人逮捕はまだ?」
「なぜ? ウィロビー署長」


それは、
7カ月前に娘を殺されたミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)が、
一向に進展しない捜査に腹を立て、
エビング広告社のレッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と1年間の契約を交わして出した広告だった。


自宅で妻と二人の幼い娘と、夕食を囲んでいたウィロビー(ウディ・ハレルソン)は、


看板を見つけたディクソン巡査(サム・ロックウェル)から報せを受ける。


一方、ミルドレッドは、追い打ちをかけるようにTVのニュース番組の取材に応じ、
「犯罪を放置している責任は署長にある」
と訴える。


努力はしていると自負するウィロビーは、
一人でミルドレッドを訪ね、捜査状況を丁寧に説明するが、


ミルドレッドはにべもなくはねつける。


町の人々の多くは、人情味あふれるウィロビーを敬愛していた。
広告に憤慨した彼らは、ミルドレッドを翻意させようとするが、


かえって彼女から手ひどい逆襲を受けるのだった。


今や、町中がミルドレッドを敵視するなか、
彼女は一人息子のロビー(ルーカス・ヘッジズ)からも激しい反発を受ける。


一瞬でも姉の死を忘れたいのに、学校からの帰り道に並ぶ看板で、毎日その事実を突き付けられるのだ。
さらに、離婚した元夫のチャーリー(ジョン・ホークス)も、
「連中は捜査よりお前をつぶそうと必死だ」
と忠告にやって来る。


そして、そのチャーリーから、
事件の1週間前に、娘から、「パパと暮らしたい……」と泣きつかれたことを明かされる。
激しく動揺するミルドレッドは、
反抗期真っ盛りの娘に、最後にぶつけた言葉を深く後悔するのだった。


警察を追い詰めて捜査を進展させるはずが、
孤立無援となっていくミルドレッド。


だが、思いがけない事件が起き、
事態は思わぬ方向へと転がっていくのだった……



映画を見るときは、
〈物語はこう展開するのかな?〉
と予測しながら鑑賞しているのだが、
この『スリー・ビルボード』では、それがことごとく外れる。(笑)
まったく予測不能の展開に、驚きの連続であった。
この予測不能の展開を、ひとつひとつ解説したいが、
それをやったらネタバレになってしまうので、ここに書くことはできない。
映画好きの人なら、いくらでも深読みできる内容なので、誰しも、
〈もう一度見てみたい!〉
と思うことだろう。
ただ、普段あまり映画を見ない人にとっては、それほどの作品ではないかもしれない。
それは容易に想像がつく。
なぜなら、安心感がないからだ。
一般の人は、結局のところ安心感を求めている。
ポップコーンでも食べながら気軽に見たいのだ。
この映画ではそれができない。
一瞬でも目が離せないのだ。
それに、次第に、女『ランボー』化していく主人公に、感情移入できない人もいるだろう。




これ、悪く言う人いるのかなと気になってレビューを覗いてみたら、いた。
「主人公に感情移入できない」
出たよ。誰かに感情移入しないと2時間スクリーン観てられない輩が批評家ぶって語っちゃってるよ。できるし、感情移入。できなくてもいい映画いっぱいあるし。自分の思い通りに展開しない映画を「感情移入できない」のひと言で片付けるの、マジでやめて欲しい。

とは、先の宮藤官九郎の弁。
まあね、
誰しも、芸術的に優れている作品ばかりを求めているワケではないからね。
無理して感情移入しなくてもイイし、
感情移入できない主人公と2時間つき合うこともない。
私も、映画は「女優で選ぶ」主義なので、
フランシス・マクドーマンドのしかめっ面ばかりを見せられていると、
少々憂鬱ではあった。


だから、ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)の妻・アン役のアビー・コーニッシュが現れた瞬間には、なんだか彼女がいつもより輝いて見えた。(笑)


アビー・コーニッシュが出演している『ジオストーム』(2018年1月19日公開)も見てみたいなと思ったほど。
ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)に感情移入できなくても、
アン役のアビー・コーニッシュに感情移入して見るというのも、面白い見方のひとつかもしれない。
異様な登場人物ばかりの中で、唯一“平凡”で“凡庸”な女性は、
見る者に、一種の安心感を与えてくれるような気がする。
このアンが、ラスト近くにミルドレッドに投げかける言葉にもグッときた。


1回目、観終わった時、完璧だと思った。脚本、演出、編集、何もかも。悔しくて2回目は粗探しのつもりで観た。だけどやはり完璧だった。少しもダメな所がない。

宮藤官九郎が言うように、
何もかもが完璧な作品『スリー・ビルボード』。
映画好きには堪えられない作品である。
だが、“完璧な作品”故の息苦しさを感じる人もいることだろう。
“欠点のない人”とつき合うのが息苦しいのと同じように……
私が『坂道のアポロン』を何度も見るのは、
それが完璧な作品だからではない。
粗探しすれば、いくらでもほころびが見える作品である。
だが、私にとって、それを“補って余りある”魅力が『坂道のアポロン』にはある。
佐世保の風景であったり……
小松菜奈の笑顔であったり……
それらは、映画の評価とはあまり関係のないものである。
だが、映画には、このプラスアルファ的要素が必要なのである。
このプラスアルファ的要素が感じられる映画こそが、
それぞれにとっての“私の映画”になるのだ。

映画『スリー・ビルボード』は、
脚本、演出、編集が完璧で、音楽も秀逸。
登場人物によってテーマソングがあるし、
音楽を聴いているだけでもワクワクさせられる。
まさに、傑作と言える作品である。
めまぐるしく変化する予測不能の展開だっただけに、
一度見ただけでは解らないシーンを、
もう一度ゆっくり確かめたい気持ちもある。
だから、もう一回くらいは見てもイイかなと思う。
だが、三度目、四度目はないような気がする。
なぜなら、この『スリー・ビルボード』には、
私にとっての、
佐世保に値する“風景”や、
小松菜奈や広瀬すずに値する“女優”が欠落しているからだ。
そのことに関して、『スリー・ビルボード』に責任は一切ない。
あくまでも、
“俗物”過ぎる“俗物”である私自身の、極私的問題であるからだ。

近くの里山 ……キンラン、キエビネ、シュンラン、チゴユリなどが咲いてたよ……

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ここ数年、
近くの山で十分に楽しめることが判ったので、
あまり遠出をしなくなった。
60歳を過ぎ、人生の残り時間を考えるようになり、
片道2時間~3時間(往復4時間~6時間)もかけて遠くの山に行くのが、
「モッタイナイ」と感じるようになったのだ。
山岳会に所属している時に、九州内のほとんどの山は登っているし、
もともと「○○百名山」というようなものには興味も関心もないので、
徐々に「近くの山」中心の登山スタイルに変化させてきた。

近くの山であれば、
登山口までの移動の時間がほとんどないので、
朝早くに歩き出せば、午前中に、歩行時間6時間くらいの山行はできる。
午後は、映画を見に行ったり、図書館に行ったり、コンサートに行ったりと、
一日二毛作を実践している。

今日も、一日二毛作を実践すべく、
朝早くに車で家を出て、近くの里山へ行った。


近くの山に何度も通っていると、
これまで「なにもない山」と思っていた里山が、
案外「豊かな山」であることが判ってくる。
遠くの山まで出掛けなくても、
近くの山にも美しい花が咲いているのだ。
ここ数日、「暖かい」というより「暑い」日が続いているので、
もうそろそろキンランが咲いているのではないだろうか……
そう考えて、キンランが乱れ咲く山へ行くことにした。


おっ、咲いてる~


ズーム。


ひとつ見つかると、次々に見つかった。




いいね~


太陽の光を浴びて輝いている。




なんて美しいんだろう。


以前、この山で、キンランの株を数えたことがあった。


100株までは数えたが、それで止めた。


キリがないからだ。


それくらいたくさん咲いている。


この写真が、今日のベストかな。


まだ蕾の方が多いので、


これからも大いに楽しめそうだ。


ヒメハギを見ながら、


さあ、次の山へ行こう。


次の山では、ホウチャクソウが出迎えてくれた。


この山での目的は、チゴユリ。


もう、すでに、たくさん咲いていた。


嬉しい!


本当に可愛い花だ。


いいね~


ミツバツツジや、


ヤマツツジも咲いている。


シュンランや、


フデリンドウもたくさん咲いている。


おっ、キエビネだ~


他にもないか探すと、
「あった~!」


今日も「一日の王」になれました~

映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』 …柄本佑、三浦透子の演技が秀逸な傑作…

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私が、末井昭著『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北宋社・1982年刊)を読んだのは、
本が刊行された翌年(1983年)くらいではなかったか。


1970年代末から1980年代前半にかけて、
椎名誠を筆頭に「昭和軽薄体」(くだけた喋り口調の饒舌な文体)の本が流行っており、
末井昭の『素敵なダイナマイトスキャンダル』も、
「昭和軽薄体」の作家達(椎名誠、嵐山光三郎、東海林さだお、南伸坊、篠原勝之……)の本と一緒に並べられていたように記憶している。
だから、軽薄な面白本として手に取ったと思うのだが、
その冒頭の文章に仰天した。

芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった。
最初は派手なものがいいと思って、僕の体験の中で一番派手なものを書いているのであるが、要するに僕のお母さんは、爆発して死んでしまったのである。と言っても、別にお母さんが爆発物であったわけではない。自慢するわけじゃないが、お母さんはれっきとした人間だった。
正確に言うと、僕のお母さんと近所の男の人が抱き合って、その間にダイナマイトを差し込み火を付けたのであった。ドカンという爆発音とともに、二人はバラバラになって死んでしまった。

書き出しが衝撃的であったし、
内容も、他の「昭和軽薄体」の作家達とは違っていたように感じた。
「昭和軽薄体」の作家達は、くだけた喋り口調の饒舌な文体を用いてはいるものの、
インテリであったり、アーティストであったりと、
“軽薄”を装ってはいるが、人間的には“まっとう”な人が多かった。
だが、『素敵なダイナマイトスキャンダル』の末井昭だけは、異質な気がした。
“装い”感がまったくないのだ。
読み手の方が心配になるほど、ハチャメチャだったのだ。

1980年代後半には、
「昭和軽薄体」も勢いを失い、
平成に入る頃には、この言葉自体は同時代性を失い死語になった。
「昭和軽薄体」の作家達も文化人としてそれぞれのポジションに納まり大人しくなったが、
末井昭だけは相変わらず破天荒な人生を歩んでいた。
だが、バブル時代(1980年代後半から1990年代初頭)が終焉し、
日本自体が“浮かれ気分”から脱し、
“まっとう”な生き方を志向する人が増えると、
末井昭という男がいたことも忘れ去られ、
私自身も彼のことをすっかり忘れていた。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』が刊行されてから36年後の、
今年(2018年)初頭、
この末井昭の自伝的エッセイが映画化されることを知った。(3月17日公開)
主人公の末井昭役を柄本佑が、
ダイナマイト心中を図る母・富子役を尾野真千子が演じるという。
その他、前田敦子、三浦透子、峯田和伸、松重豊、村上淳など、
面白そうな面々が顔を揃えている。
監督は、(私の好きな)『パンドラの匣』(←クリック)の冨永昌敬で、
音楽を、冨永監督と『パンドラの匣』等でタッグを組んでいる菊地成孔が担当している。
〈見たい!〉
と思った。
上映予定館を見ると、佐賀のシアターシエマも入っていたので、一安心。
だが、上映期間は、4月20日(金)から4月26日(木)までの1週間で、
1日1回(18:00)のみの上映。
〈このチャンスを逃してなるものか!〉
と、先日、仕事を早めに切り上げてシアターシエマに駆けつけたのだった。



バスも通らない岡山の田舎町に生まれ育った末井少年は、
7歳にして母の衝撃的な死に触れる。
肺結核を患い、医者に見放された母・富子(尾野真千子)が、
隣家の若い男とダイナマイト心中したのだ。


18歳で田舎を飛び出した末井青年(柄本佑)は、
大阪の工場で働くも、すぐに絶望し、退社。
父の出稼ぎ先である川崎の工場に就職する。
最初は父・重吉(村上淳)と同居していたが、


その父に嫌気がさし、アパートを出て、下宿先を見つけて引っ越す。
その下宿先で、牧子(前田敦子)と出逢う。(後に結婚)




昼は工場勤務、夜はデザイン学校という生活を送るが、
学生運動の煽りでデザイン学校が閉鎖。
「作画会」に就職し、デザインの話ができる友達・近松(峯田和伸)と出会う。


その縁で、キャバレー「クインビー」に入社。
看板やチラシ、オブジェなどを作るが、芸術性が災いしてか不評。
情念が爆発して、ペンキを体に被りストリーキングを行う。


その後、エロ雑誌の世界へと足を踏み入れた末井は、
表紙デザイン、レイアウト、取材、撮影、漫画と、あらゆる業務をこなしながら、
編集長として、
「立て!男のエキサイト・マガジン」
をキャッチフレーズに雑誌『NEW SELF』を創刊する。


写真家の荒木経惟(菊地成孔)ら精鋭たちがメンバーとして集い、
雑誌は軌道に乗り、
新入社員の笛子(三浦透子)に手を出し、


愛人にする。


順風満帆に思えたが、
わいせつ文書販売容疑で『NEW SELF』が発禁となってしまう。
次に、『写真時代』を創刊し、


ダッチワイフの紹介記事でメーカーからクレームがくるも、
30万部の大ヒットを記録。
だが、警視庁より呼び出しがあり、始末書を提出。
『写真時代』も発禁となる。
その後、『パチンコ必勝ガイド』を創刊し、
末井昭の波乱の人生は続いていくのだった……



末井昭の人生はまさに、
昭和アンダーグラウンドカルチャー史そのものである……
とは言い過ぎかもしれないが、
そう断言してもおかしくはないような映画の内容であった。
『素敵なダイナマイトスキャンダル』だけでなく、
末井昭の他の著作(たとえば『自殺』『結婚』など)も物語に取り入れられており、
風俗店やエロ雑誌出版社を本能のままに渡り歩く末井昭の人生は、
映像化されると本当に面白かった。


実は、私自身も、1980年代初めに、
東京の小さな編集プロダクションで、
なんでも屋のライターとして底辺を這いずり回っていた。
プロダクションとしてアラーキー(荒木経惟)を取材したこともあるし、
少しだけだが、末井昭の人生とも重なる部分があったのだ。
だからだろう、
妙に懐かしく、そして、楽しんで見ることができた。


主人公の末井昭を演じた柄本佑の演技が素晴らしい。
柄本佑はこの時代の頃の末井昭によく似ていて、
まるで末井昭本人が出演しているかのようで、
なんだかドキュメンタリー映画を見ているような感じであった。
今年度の「一日の王」映画賞の主演男優賞候補にしようと思っているが、
内容が内容だけに、日本アカデミー賞の方は無理かもしれない。


末井昭の愛人・笛子を演じた三浦透子。


彼女の演技が、とにかく素晴らしかった。
『素敵なダイナマイトスキャンダル』ではほとんど触れられておらず、
主に『自殺』の方に書かれている女性であったが、
末井との不倫関係から腐れ縁的な倦怠へ移行し、
やがて精神に異常をきたしていく女性の凄惨な顛末が描かれているのだが、
この難しい役を、三浦透子は見事に演じ切っている。


彼女も、今年度の「一日の王」映画賞の助演女優賞の有力候補である。
この映画の中で、
私が一番好きな場面は、
末井青年(柄本佑)と笛子(三浦透子)が、
湖のほとりで密会デートしているシーンなのであるが、


ここで、ママス&パパスの1965年の名曲「夢のカリフォルニア」が流れる。
この映像と音楽の組み合わせが絶妙で、
私は身震いするほど感動した。


私が編集プロダクションで働いていた頃、
先輩社員が、独立して、自分の(編集プロダクションの)会社をつくった。
その社名が、「ママス&パパス」だった。
ママス&パパスが好きだった先輩らしい社名で、
その会社に私も誘われたのだが、
九州に帰ることになっていたので、断らざるを得なかった。
ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」が流れたとき、
映画のストーリーとは別に、
私自身の東京時代の思い出(コチラを参照)も蘇えってきて、
身震いするほど感動してしまったのだった。


ちなみに、
ママス&パパスは、1960年代のアメリカで活躍したフォークグループで、
活動期間は短く(1965年~1968年)、
「夢のカリフォルニア」の他、「マンデー・マンデー」などのヒット曲がある。
ジョン・フィリップス(1935年8月30日~2001年3月18日)
デニー・ドハーティ(1940年11月29日~2007年1月19日)
キャス・エリオット(1941年9月19日~1974年7月29日)
の3人はすでに死亡しており、
残る1人、ミシェル・フィリップス(1944年6月4日~)は、


その美貌を活かし、主に女優として活躍し、
代表作として、『デリンジャー』(1973年)や『バレンチノ』(1976年)などがある。


話は脱線してしまったが、
柄本佑、三浦透子の他、
ダイナマイト心中を図る母・富子役を演じた尾野真千子も素晴らしかった。


誰しも、
〈NHK朝ドラ女優が、このような役をよく引き受けたな~〉
と思うことだろうが、
尾野真千子の出演作を見続けてきた私としては、
この役のオファーを受けたことを、
〈さもありなん〉
と思ったことであった。
このような役こそが、尾野真千子の“腕の見せどころ”なのである。


冨永昌敬監督作としては、
『パンドラの匣』(2009年)が好きで、
最高傑作と思っていたが、
ここに新たな代表作『素敵なダイナマイトスキャンダル』が誕生した。
『パンドラの匣』でも担当していた菊地成孔の音楽も素晴らしく、
その菊地成孔が演じた荒木経惟もハマっており、文句なし。


「芸術だから脱いで~」には爆笑であった。


ああ、それから、
エロ雑誌の検閲を担当する警察官・諸橋を演じた松重豊も秀逸だった。
末井(柄本佑)とのやりとりにも大いに笑わされた。


ああ、それから、(笑)
エンドロールで流れる尾野真千子と末井昭による主題歌「山の音」も、
上手いんだか下手なんだかよく判らない(爆)名曲。
聴き逃さないように!


書きたいことは山ほどあるが、もうキリがない。(笑)
中高年には、ある種の懐かしさが、
若い人には、斬新さとエネルギーが感じられるに違いない。
内容が内容だけに、日本アカデミー賞にはノミネートされないかもしれないが、
「一日の王」映画賞では間違いなく本年度ベストテンに入る傑作だ。
映画館で、ぜひぜひ。

天山 ……雨に濡れたツクシシャクナゲ、ヒトリシズカなどの花を愛でる……

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4月25日(水)
天気予報は「晴れ」だったのに、
一向に晴れる気配がなかった。
麓から眺める天山は、雲に覆われたままだった。
こんな日は、登山者も少ないに違いない。
喜々として私は天山へ向かったのだった。(笑)

どうせ山頂に立っても展望はないので、
最初から山頂は目指さず、ガスっている森の中へ入って行く。


幻想的な雰囲気。


ツクシシャクナゲの花が見えてきた。


もう咲いていたのだ。


いいね~


こちらにも咲いている。


美しい~


しばらく歩くと、


また見つかった。


水滴の付いた花は、一段と美しさを増す。


もう少し進んでみると、


ツクシシャクナゲが点在している場所に行き着いた。


花はまだそれほど多くないが、嬉しい。


今日いちばんのツクシシャクナゲ。


満開のミツバツツジを見ながら、
ヒトリシズカの咲く場所へと移動する。


途中、雨に濡れたバイカイカリソウをパチリ。


天山では、稜線や登山道以外でも、バイカイカリソウを見ることができる。


水滴を付けたバイカイカリソウは、一層カワイイ。


こんな日は、サバノオの花は開かないので、見つけるのが難しい。


ちょうど写真の真ん中にサバノオの花があるのだが、判るかな?


今日は、ヤマフジの花が目立っていた。


よく見ると、案外美しい。


ヒトリシズカの群生地に到着。
白い点々、全部ヒトリシズカの花だ。


いいね~


天山は佐賀県の中では標高が高い山だし、
天山のヒトリシズカはかなり高い場所に咲いているので、
佐賀県で見られるヒトリシズカの中では、
もっとも遅く咲くのではないだろうか?
いつも4月下旬に咲き、
1週間ほどで花期を終える。
それ故、愛おしい。


葉が開き始めたものもイイし、


葉が全開したものもイイ。


天山に咲いてくれて有難う。


今日も「一日の王」になれました~


天山 ……バリエーションハイキングで、あまり知られていない天山を楽しむ……

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世はGWに突入したらしい。
私はGWとは無縁の仕事をしているので、
今日(4月29日)は(私にとっては)普通の公休日である。
日曜日であるので、
普通なら天山の登山者は多い筈だが、
GWなので、遠出している人も多いことだろうし、
井原山が“山開き”のようなので、そちらに行く人も多いことだろう。
よって、天山にはあまり人がいないのではないか……
そう考えて、今日も天山へ行くことにした。

まず山頂を踏んで、
稜線散歩で、おそらく今日が最後であろうミツバツツジの花を楽しみ、
その後、バリエーションハイキングで、
あまり知られていない天山を楽しむことにしよう。

天川登山口を出発。


ゆっくり歩き出す。


新緑が美しい。


この天川ルートでも、ミツバツツジが所々に咲いている。


いいね~


いつもの場所でパチリ。


天山山頂に到着。
誰もいない。嬉しい。


晴れてはいるが、遠望は効かない。
近くにあるあめ山は相変わらず美しい。


さあ、稜線散歩だ。


しばらく歩いて、ミツバツツジ越しに山頂を振り返る。


彼方に、うっすらと井原山が見える。
今日は山開きなので、大いに賑わっていることだろう。


あそこに、満開のミツバツツジが見える。


近くに行ってパチリ。


角度を変えてパチリ。
いいね~


足もとには、バイカイカリソウがたくさん。


なんて可愛いんだろう。


絵になるね~


美しい~


フデリンドウも咲いている。




このミツバツツジも、ほぼ満開。


新緑をバックに輝いている。


青空にも映える。


その後も、美しいミツバツツジが続いた。




彦岳が見える場所まできて引き返す。
(ここより下の方は、ミツバツツジの花は散っているものが多いようだった)


ここから右折し、


いつもの場所でランチ。


本日の「天山南壁」。


この後、
バリエーションハイキングで、オオキツネノカミソリの第二群生地へ。


八幡岳ほどではないが、
天山にこれほどの群生地があったとは……


久しぶりに訪れたが、やはり驚きだ。


いいね~


この第二群生地には、小さな沢と滝があり、これが美しい。




滝の岩の上に、ヤブツバキの花が落ちていた。


絵になるね~


沢の脇にあるオオキツネノカミソリの葉が殊の外美しい。


ねっ。


今日は、さらに上の方まで行ってみる。


新緑のトンネルの下をゆっくり歩いて行く。


もっと上まで進む。


印象的な喬木があるところまで来て、立ち止まる。
なんだか、天山ではないみたいだ。


最後に、
今日、出会った花々を少しだけ紹介しよう。
沢沿いには、まだコチャルメルソウが咲いていた。


ツクシタニギキョウも群生していた。
陽が当たらない場所は花が閉じていたが、


陽が当たる場所では、美しく開花していた。


ヤマルリソウの花もたくさん。


カワイイ。


ジロボウエンゴサクや、


ホウチャクソウも咲き始めていた。


次に、花期を終えそうな花々。
まずは、サツマイナモリ。
スノーマン、だもんね。


ヒトリシズカも終焉を迎えていた。


あと数日で、花は姿を消すだろう。


最後は、サバノオ。
もう“鯖の尾”になってしまっているものが多かった。


それでも、花がちらほら残っている。


残っているものの中から、
美しいものを選んで紹介しよう。
一際小さな花だったが、美しさは極上。


こちらも美しい。
葉が赤錆色に近いのも好み。


木漏れ日の影にゆれる花。


光を浴びている花。


日陰の花。


スポットライトを当てられた花。


真横から撮った花。


そして、今日いちばんの花。
今日も「一日の王」になれました~

小池真理子『死の島』 ……“死者のための島”へ小舟を漕ぎ進む男の物語……

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『死の島』というタイトルで思い出すのは、
スイス出身の画家アルノルト・ベックリン(1827年~1901年)の代表作「死の島」だ。

墓地のある海上の小さな孤島をめざし、
白い棺を乗せた小舟が暗い海原を漕ぎ進む……

不気味な絵だが、
ベックリンは、1880年から1886年の間に、この謎めいた主題で繰り返し作品を描いている。
(理由は長くなるので割愛)

1.1880年5月(111 x 115 cm)バーゼル市立美術館。


2.1880年6月(74 x 122 cm)メトロポリタン美術館。


3.1883年(80 x 150 cm)旧国立美術館、ベルリン美術館。


4.1884年(81 x 151 cm)第二次世界大戦中に焼失。(白黒写真のみで現存)


5.1886年(80 x 150 cm)ライプツィヒ造形美術館。


20世紀半ばのヨーロッパでは非常に有名になった絵で、
複製画がポストカードになったり、普通の家庭に飾られるほどの人気だったとか。
ヘッセもこの絵を好んで飾っていたことが知られており、


ナボコフも小説で「ベルリンの家庭という家庭でみることができた」と記すほどであった。


ラフマニノフは複製画に着想を得て交響詩『死の島』を作曲している。


日本の作家にも影響を与えている。
福永武彦の代表作『死の島』のタイトルも、
ベックリンの「死の島」に由来している。



昭和20年代末の東京。
小説家志望の編集者・相馬鼎は、
美術展で、「島」という一枚の絵に惹きつけられる。
この世の終わりを暗示するかのような暗い島を描いたのは、
広島で被爆し、心と体に深い傷を負った画家・萌木素子であった。
相馬が出版物の装丁を依頼する目的で素子の家を訪れると、
そこには彼女と同居しているという若い女がいた。
美しく清楚だが、男と駆け落ちしたという暗い過去がある相見綾子だった。
タイプの異なる二人の女性と接しているうちに、
双方に惹かれてしまっている自分に気づく相馬。
そんな彼の許に、素子と綾子が、広島で心中したという報せが届く。
女のうちの一人が死に、一人は危篤状態にあるという。
東京駅から飛び乗った急行列車が広島に着くのは、翌日の早朝。
はたして、どちらが死に、どちらが生きているのか……
自分は、どちらの女性に生きていてほしいと願っているのか……


小説の中に、直接このベックリンの絵画が登場するわけではないが、
萌木素子が描いた画がベックリンの死の島に似ており、
ストーリーも、死の島に向かって流れていくように進行する。

小池真理子の『死の島』を読み始める前、
こちらの『死の島』も、福永武彦の『死の島』と同じく、
〈ベックリンの絵をモチーフにしているのだろうか……〉
と思った。
はたしてどんな物語なのか?
興味津々で読み始めたのだった。



文秋社という出版社で文藝編集者として勤務し、
定年を迎えたあとはカルチャースクールで小説を教えていた澤登志男(69歳)。
女性問題で離婚後は独り暮らしを続けているが、
腎臓がんに侵され余命いくばくもないことを知る。
カルチャースクールを辞めた数日後、
かつての恋人、三枝貴美子の妹・久仁子の訪問から電話があり、
「実は先月、姉が亡くなりました。63歳。……がんでした」
と告げられる。
6つ年下の貴美子とは、澤が44歳、貴美子が38歳のときに出逢った。
貴美子は独身だったが、澤には妻と娘がいた。
澤は48歳のときに離婚することになるが、
直接の原因ではなかったものの、貴美子のことが少なからず影響していたことは間違いなかった。
だが、皮肉なことに、離婚後には貴美子との情熱も失われ、
貴美子とも別れてしまった。
久仁子によると、貴美子は、生涯独身で、
入院せず、最後まで自宅で生活を続け、治療はすべて拒否し、
在宅訪問看護を受け、鎮痛剤を投与してもらい、
自宅のベッドで、眠るように息を引き取ったという。
その後、久仁子は、貴美子の遺品整理をしていたときに、
「自分が死んだら、澤登志男さんに渡してほしい」
というメッセージが添えられた一冊の本を見つける。
後日、久仁子から直接受け取ったのは、
『ベックリーン 死の島』と題した絵の解説書だった。
(小池真理子の小説では、“ベックリン”ではなく“ベックリーン”と表記)
「死の島」の絵に、澤は魅了される。
澤は、巻末にあった折り込み式のカラー図版を切り離し、
リビングルームの壁にピンで留める。
絵を見ているだけで、なんだかもう、舟に乗っている気分になるのだった。
「死の島」に己の姿を重ね合わせ、
人生の終幕について準備を始める澤の前に、
カルチャースクールの教え子で、彼を崇拝する若い女・宮島樹里が現れる。
自らの辛い体験を『抹殺』という小説に書き、澤に褒められた経験を持つ樹里は、
澤を深く尊敬しており、澤の力になりたいと申し出る。
樹里との交流で、ひとときの安らぎを覚えるが、
己の終焉に樹里を巻き込むことはできなかった。
そして、澤は、樹里に、
「……おれが死んだら、おれのことを書け。小説にするんだ」
と言い残し、姿を消すのだった。


小池真理子の『死の島』もまた、
ベックリンの「死の島」をモチーフにした物語であった。
澤登志男がベックリンの「死の島」を初めて見たときの様子を、
小池真理子は次のように描写している。

見つめているうちに、絵の中に吸い込まれていきそうになるのが不思議だった。一艘の小舟に載せられている白い柩の中に、貴美子の青白い亡骸が横たわっているのが透けて見えてきた。
背の高い黒々とした糸杉の木々を囲むようにして、茶色い岩肌の城砦を思わせる建物がそびえている。よく見れば、その内側に白っぽい四角いものが幾つか。霊廟なのか。
一羽の鳥の姿もない。生き物の気配のない死の島に向かって、小舟がゆっくりと水面を進んでいく。柩は今まさに、静寂に包まれた島の霊廟に安置されようとしている。
貴美子は今、ここに……この世のどこにもない「死者のための島」にいて、穏やかな眠りを貪っているに違いなかった。時をおかずして、自分もまた、この島に向かっていくのだと思うと、彼は深く和んだ気分に包まれた。

澤もまた、「死の島」へ向かって小舟を漕ぎ出そうとしていた。
どのような方法で、どのような手段を用いて「死の島」へ行ったかは、
ここに記すことはできないが、
69歳の澤と同じ60代(前半ではあるが)の私としては、
深く考えさせられる結末ではあった。

この小説は、主人公の澤登志男が、
カルチャースクールの講師を辞めるシーンから始まる。

万事、ものごとの幕引きは、あっさりと行わねばならない。決めたことを翻そうとしたり、顔をこわばらせたり、感傷的になりすぎたり、その逆で自暴自棄になったりするのは避けるべきだった。
しかもそれを「美学」だの「美意識」だのといった、いかにも高尚な言葉で飾りたてるのはもってのほか。ただ黙って静かに幕を引く。引いた後のことは考えない。そこに意味を探したりしない。振り返って涙ながらに過去を懐かしんだりもしない。
幕が引かれれば、黙っていても観客は去って行く。客席の照明は静かに落とされる。すべての気配が遠のき、何も聞こえなくなる。あたりは闇に包まれる。
……あたかも何事もなかったかのように。

この冒頭の文章は、
てっきり、カルチャースクールの講師を辞めるにあたっての“心構え”を記したものだと思っていた。
だが、小説を読み終え、
あらためて冒頭の文章を読んでみると、
それは、「死の島」へ向かう際の“心構え”であったことに気がつく。
なんと大胆不敵な!
一番言いたかったことを冒頭で語り、
最後の最後で、読者にその意味を解らせるとは……
皆さんも、この小説を読み終え、
冒頭の文章をもう一度ぜひ読んでもらいたい。
きっと、最初の印象とはまったく異なった感慨を抱くに違いない。
ぜひぜひ。


セルゲイ・ラフマニノフの交響詩『死の島』(3分間のみ)

「YURI MIYATA」 ……登山中に見つけた植物の形をモチーフにしたアクセサリー……

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モデルをしながら山にも登っているという美しき人がいる。
(近いうちに「逢いたい人に逢いに行く」という企画に登場予定)
この女性のインスタグラムを見ていたら、
アクセサリーの写真と共に、
次のような文章が添えられていた。

素敵だな、森を感じるな、と思いながら
ちょっと私には似合わないかもなぁと横目でチラチラ見るだけだった
@yuri_miyata のアクセサリー

買っちゃった
いっひっひ


植物の形や景色、山道から感じた魅力が制作インスピレーションなんだそう

私の選んだこのイヤリングもね、ナントカって植物の茎のとこをモチーフにしててね
山で撮った写真を見せていただいたんだけど……
えーっと……
……そのナントカを忘れてしまった(2回も聞いたのに.笑)!
細くて力強い線に感じる植物らしさと、結晶みたいにも見えるとこが好き*

軽いから耳のフチにも留められます(写真2枚目)
フタリシズカのブローチも可愛かったなぁ

森を連れて歩きたい方はぜひ🌟


インスタグラムに載っていたアクセサリーの写真が素晴らしかったので、
宮田有理さんのことをちょっと調べてみた。

宮田有理【Yuri Miyata】
岡山県倉敷市出身
大学でセラミックデザインを学んだ後、
洋食器会社に形状デザイナーとして5年間勤務。
退職後、2015年よりアクセサリーの制作を開始。
現在は定期的に様々な山へ行きつつ、東京都内で活動中。
「YURI MIYATA」は、宮田有理さんのブランド名。

HPには、次のようなメッセージが書かれていた。


「自然から感じる思いをかたちに。」

山には様々な種類の植物が溢れ、
ふとした瞬間に思わぬ形や景色に出会うことがあります。

足元に広がる小さな世界には様々な種類の植物が溢れ
歩く度に新鮮な驚きを与えてくれます。
季節や天候によっても違う表情を見せてくれて飽きることがありません。

2011年から山へ行くようになり、
実際に歩いた山や森の中で感じたことや、見つけたこと、
肌で感じたさまざまな感動をかたちにしたくて制作をはじめました。

日々の生活にそっと寄り添い、
自然の空気を感じていただけるようなアクセサリーでありたいと願っています。


2015年より、
山道で見つけた植物や景色からインスピレーションを受け、
アクセサリーの制作をスタート。
植物から感じた様々な魅力をシンプルな形状に落とし込み、
普遍的なデザインとして長く愛用してもらえるアクセサリーを目指しているという。

制作を開始して、まだ3年ほどのようだが、
彼女がデザインしたアクセサリーを見て、すっかり魅せられてしまった。
そのどれもが、
森の中を歩いている際に見つけた、
小さな植物などの魅力的な自然のフォルムにフォーカスした作品群であったからだ。

先程のインスタグラムの写真のアクセサリーは、


イワセントウソウだそうだ。




これは、


ジシバリ。


ブローチとしてだけでなく、


ザックに付けても素敵だ。


これは、


木の枝をデザインしたもの。


いいね~


これは、


フタリシズカ。


カワイイ。


その他の作品を見ても、
素晴らしいものばかり。


金属なのに、本物の山野草と同じくらいの存在感がある。


見ているだけでも楽しい。




普通、アクセサリーは、自分に似合うかどうかで選ぶものだが、


「YURI MIYATA」のアクセサリーは、
アクセサリーの方が、人を選びそうな気がする。


このアクセサリーに相応しい女性かどうか……と。
はたして、あなたは……

近くの里山 ……「ヤマザキ(山咲き)春のランまつり」が開催中だったよ……

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GWはずっと仕事をしていた。
GW最後の今日、5月6日(日)にやっと休みが取れたが、
天気は「雨」。(笑)
午前は「弱い雨」で
午後からは「激しい雨」とのこと。
今日は何としてでも山へ行きたかったので、
「弱い雨」の午前中に山へ行くことにした。

遠くへ行かなくても、
すぐ近くの里山にも多くの花が咲いている。
雨の日には、登山者もいないことだろう。
ウキウキしながら、家を出たのだった。

里山の山道には、カノコソウが咲き出していた。




珍しい花ではないけれど、大好きな花だ。


ホウチャクソウも咲き始め。


ハナイカダも見ることができた。


見ているだけで楽しくなってくる。




チゴユリもまだ咲いて待っていてくれた。


ありがとう。


モミジウリノキと、


イチヤクソウは、開花までにはもう少し時間がかかりそうだ。


森の中へ入って行く。


今日は、ギンリョウソウをたくさん見ることができた。


雨が好きなのかな?


そして、エビネラン。
今、まさにピークを迎えていた。


それぞれ、色が微妙に違う。




キエビネも咲いている。


こっちにも……


美しい~


キンランも咲いている。


陽が差していないから閉じているものがほとんどだけれど、


少しだけ開いている花もあった。


ギンランも見ることができた。


ギンランは、陽が差しても陽が差さなくても、こんな感じ。


キンラン以上に貴重なギンラン。


私など、逢えただけで嬉しい。


今日はラッキーな日だ。


雨が強く降り出してきた。


森の中は幻想的な雰囲気に包まれる。


植物たちは、なんだかイキイキしている。




こちらのエビネランの群生地は、まだこれからといった感じ。


それでも、かなりの花が咲いている。


雨のシャワーを浴びて喜んでいる。


いいね~


今日は、終わりかけのシュンランも見ることができ、


エビネラン、キエビネ、キンラン、ギンラン、シュンランと、
ランラン尽くしであった。


「ヤマザキ春のパンまつり」は4月30日で終わったけれど、


近くの里山では、今、まさに、
「ヤマザキ(山咲き)春のランまつり」が開催中であった。
今日も「一日の王」になれました~

近くの里山 ……すぐそこにある未踏の地を探索せよ……

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雑誌『Fielder』(vol.39)を買った。


特集のタイトルを見て、そそられた。(笑)
「大人の裏山遊戯」。


数字だけの成長を求めた先に幸せな暮らしはあるのか?
かつて山とともにあった本当の人間活動を体感する

「大人の裏山遊戯」
●小屋暮らしの生活様式に学ぶ「裏山ブッシュクラフト」
●受動的な野営だけじゃつまらない「実践積極的ビバーク」
●かつて食卓で当たり前だった山の味を復習する「はじめての山菜活用術」
●誰でも採れる安心食材「胡桃」「栗」「ギンナン」
「裏山は木の実の宝庫である」


●すぐそこにある未踏の地を探検せよ「裏山開拓のABC」


●野生を遊び倒すタフスタイルの勧め「裏山探索装備サンプル」


「裏山開拓のABC」の、
“すぐそこにある未踏の地を探検せよ”というキャッチコピーに魅かれた。
そうなのだ。
近くの山ゆえに、誰もが、すべてを知っていると勘違いしている。
或は、裏山・里山には何もないと思い込んでいる。

で、今日は、
“すぐそこにある未踏の地を探検せよ”
ということで、近くの里山で、バリエーションハイキングをすることにした。


この時期の山は、新緑が美しく、


どこを歩いても楽しい。


ギンリョウソウが顔を出していた。


しばらく歩いた所に、


エビネが咲いていた。


さらに歩くと、


すこし黄色みがかかったエビネが咲いていた。


指の先まで緑に染まっていくようだ。


一際美しいエビネに出逢った。


いいね~


さらに進むと、


小さな沢沿いの道に出合った。


森が、昨日までの雨を貯めこんでいた。


すべての植物が水分を含んでいる。




コチャルメルソウと出逢ってビックリ。


もっとビックリしたのは、この花。


まさかこの花に出逢えるとは思わなかった。


嬉しい。


こっちにも咲いている。


いいね~


下からも撮ってみる。


ズーム。


来年からこの山に来るのが楽しみになってきた。


家からすぐ近くの山に咲いていたとは……


これだから里山歩きは止められない。


今日も「一日の王」になれました~

映画『犬猿』 …𠮷田恵輔監督のオリジナル脚本と江上敬子の存在感が秀逸な傑作…

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※注意
少しネタバレしています。



𠮷田恵輔監督作品である。


『純喫茶磯辺』(2008)
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013)
『麦子さんと』(2013)
『銀の匙 Silver Spoon』(2014)
などで知られる監督で、
このブログでもいくつかの作品はレビューを載せており、
明るくてクスッと笑えるヒューマンコメディといった作風であったのだが、
前作『ヒメアノ~ル』(2016年)には仰天させられた。
前半は、これまでの𠮷田恵輔監督作品であったのだが、
後半になると一変、
「これ本当に𠮷田恵輔監督作品?」
と叫びたくなるほどの変貌ぶりだったのだ。
(詳しくはコチラから)
「現時点での𠮷田恵輔監督の最高傑作である」と断言したのだが、
その𠮷田恵輔監督の新作が2月10日に公開された。
〈福岡まで見に行かなければならないか……〉
と思っていたが、
佐賀のシアターシエマで4月27日から上映されることが分り、
首を長くして待っていたのだ。
そして、先日ようやく見ることができたのだった。



金山和成(窪田正孝)は地方都市の印刷会社で働く営業マン。
イケメンだが、真面目で堅実な彼は、
父親が友人の連帯保証人になって作ってしまった借金をコツコツと返済しながら、
老後のために毎月わずかな貯金をする地味な生活を送っていた。


そんなある日、彼のアパートに、
強盗の罪で服役していた兄の卓司(新井浩文)が刑期を終えて転がり込んでくる。
卓司は和成とは対照的に、金遣いが荒く、凶暴な性格でトラブルメーカー。
娑婆に出てきて早々に、
キャバクラで暴れたり、弟の留守中に部屋にデリヘルを呼んだりとやりたい放題。
和成はそんな卓司に頭を抱えるが、気性の激しい兄には文句のひとつも言えない。
しかし、和成はそんな卓司のことを密かに天敵だと思っていた。


一方で、そんな和成に仄かに恋心を抱いている女性がいた。
和成が頻繁に仕事を依頼する、小さな印刷所を営む幾野由利亜(江上敬子)である。
親から引き継いだ会社を切り盛りする彼女は、勤勉で頭の回転も速く、
寝たきりの父親の介護もしながら仕事をテキパキとこなす“できる”女だが、
太っていて見た目がよくない。


その彼女にも実は天敵がいた。妹の真子(筧美和子)だ。
由利亜の下で印刷所の手伝いをしている彼女は、
姉と違って仕事の要領が悪く、頭も決してよくないが、
顔やスタイルの良さから、時々グラビア撮影やイメージビデオに出演するなど芸能活動もしていて、取引先の男性にも人気がある。
由利亜は、仕事もできないくせにチャラチャラして、チヤホヤされているそんな妹にいらつき、
真子もまた、節制できずにぶくぶくと太っている姉のことを小バカにしていた。


しかしある時、金山兄弟、幾野姉妹に変化が訪れる。
卓司が始めた胡散臭い輸入業の仕事が成功したことで、
和成の心に複雑な気持ちが芽生え出す。
また、由利亜の仄かな恋心をよそに、和成と真子がつき合い出したことから、


嫉妬に燃えた由利亜がストーカー化する。
一方の真子は、エロまがいのグラビアを一向に卒業できない焦りから枕営業へと走り、
ラブホテルで卓司と鉢合わせしてしまったために、事態は急変するのだった……



本作『犬猿』を見た佐賀のシアターシエマでは、
予告編なしで(いきなり本編が)上映される作品が多い。
『犬猿』も「予告編なしで上映開始」とHPに書いてあったので、
そのつもり見始めた。
だが、予告編が始まったのだ。
〈えっ?〉
と思った。
その予告編は、
『恋する君のとなりには』というタイトルの(架空の)映画のものだったのだが、
劇中映画とは言え、
高校生カップル(健太郎、竹内愛紗)の切なくピュアな恋模様や、




『恋する君のとなりには』を「恋とな」と略して呼ばせるところなど、
“いかにも”な感じバリバリで、思わず笑ってしまった。


映画を見終わった観客の感想をTVCMとして流すのが一時流行ったが、
そのTVCMに真子(筧美和子)が出演しているという設定で、
映画の“ありがちな”予告編や、
“やらせ”感ぷんぷんの映画鑑賞後の感想などを皮肉ると共に、
それをワンセグで見ている和成(窪田正孝)など、
登場人物の立ち位置まで冒頭で知らしめており、
このオープニングシーンで観客の心をしっかり掴み、
(やや予定調和な展開はあるものの)最後まで観客をグイグイと引っ張っていく。
𠮷田恵輔監督のオリジナル脚本が優れており、
〈さすが𠮷田恵輔監督!〉
と思わされた。

テーマは、「兄弟」間、「姉妹」間にある複雑な感情。
まじめな弟と、刑務所から出所したばかりのヤクザな兄。


仕事はできるがブスな姉と、容姿だけが取り柄の妹。


見た目も性格も正反対な兄弟・姉妹を配し、
その間に渦巻く羨望、嫉妬、近親憎悪といった感情を、
笑いとペーソスを織り交ぜながら、時に辛辣に描き出す。
うならされたのは、そのキャスティング。
印刷会社で働く営業マン・金山和成を演じた窪田正孝。


強盗の罪で服役していた和成の兄・卓司を演じた新井浩文。


親から引き継いだ小さな印刷所を営む幾野由利亜を演じた江上敬子。


印刷所の手伝いをしながら芸能活動もしている由利亜の妹・真子を演じた筧美和子。


それぞれが役にぴったりで、
演技に定評のある窪田正孝と新井浩文はさすがの一言であったし、


映画出演経験の少ない江上敬子や筧美和子も役にハマっていた。


𠮷田恵輔監督のキャスティング法は、
「“芝居の巧い人”と“飛び道具になってくれそうな人”を組み合わせる」というもので、
江上敬子や筧美和子が“飛び道具”で、
それを引っ張る役目が窪田正孝と新井浩文であったようだ。
そのバランスが絶妙であった。

中でも、驚かされたのが江上敬子だ。
お笑いコンビ「ニッチェ」で活躍する芸人としてご存じの方も多いと思うが、
役にピッタリ過ぎて、実にリアルだったし、
演技というより、その存在感に圧倒された。


それもその筈、
𠮷田恵輔監督は、由利亜という役は江上敬子を当て書きしたそうで、
最初から江上敬子ありきで脚本を書き進めていたのだ。
若い頃の藤山直美をイメージしたキャラクターだったそうで、
どうりで、私も、
〈なんだか藤山直美に似てるな~〉
と思いながら鑑賞していた。
今年の年末から来年の初めにかけて発表される映画賞では、
きっと多くの賞を受賞することだろう。

筧美和子も期待以上の演技で感心した。


この役をオファーされたとき、
「容姿だけがしか取り柄がない……」
という役は、自分と重なる部分が多かった(実際にそう言われたことがあった)ので、
まさに自分のことを言われているようで、
オファーは嬉しかった反面、悔しかったとか。
作品に入る前は、葛藤というか、モヤモヤするものがあったが、
〈この役ができるのは自分しかいないかも……〉
〈この役をまっとうできたら、自分も成長できるかな……〉
とプラスに考え直し、役に取り組んだとか。
撮影が終わった頃には、いろんな意味で「乗り越えられた」感があったそうだ。
実際、映画の中でも、終盤に近づくにつれて、演技が上手くなっていくのが判る。
グラビアで活躍していた人が映画に出演すると、
誰しも「大丈夫かな?」と思いがちだが、
グラビアアイドルとして活躍していた人は、いろんな意味で覚悟ができているというか、
振り切った演技をする人が多く、良い女優になる人が多い。
過去、小池栄子や佐藤江梨子などがそれを実証している。
筧美和子もそうなるような気がするし、
そうなってほしいと思った。


いろいろ書きたいことはあるが、
出勤前なので、この辺で。
𠮷田恵輔監督のオリジナル脚本と、
江上敬子の演技と存在感が圧倒的な傑作『犬猿』。
映画館で、ぜひぜひ。

映画『孤狼の血』……役所広司のどぐされ感が圧倒的な白石和彌監督の最高傑作……

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2014年02月27日に書いた、白石和彌監督作品『凶悪』のレビューを、
私は、つぎのように書き出している。(全文はコチラから)

大好きなリリー・フランキーが出演しているので、
どうしても見たかった映画『凶悪』。
公開されたのは、昨年(2013年)9月21日であったが、
佐賀県での上映館はなく、
〈福岡まで見にいかなくては……〉
と思っている間に、上映終了してしまい、
昨年はとうとう見ることができなかった。
DVDの発売(2014年4月2日)を待たねばならないか……
と思っていたところ、
小倉の昭和館で、
2月22日から3月14日まで上映されることを知り、歓喜。
昨日、ようやく見ることができた。

わざわざ佐賀の田舎から北九州市まで見に行ったのであるが、
1本分の映画の上映時間や料金よりも、
(往復の時間やお金が)何倍もかかったにもかかわらず、
まったく損した感じはなく、得した気分しか残らなかった。
それほど、この『凶悪』が素晴らしかった。
……リリー・フランキーとピエール瀧の狂気の再現力が光る傑作……
というタイトルでレビューを書いたのだが、
白石和彌監督にも感心し、
次のように記している。

監督は、白石和彌。
1974年12月17日生まれ。北海道出身。
1995年、中村幻児監督主催の映像塾に参加。
以後、若松孝二監督に師事し、
フリーの演出部として行定勲、犬童一心監督などの様々な作品に参加。
長編デビュー作『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(2009年)を経て、
本作の監督を手がけている。
長編2作目にして、この傑作をものするとは、すごい才能である。
脚本、演出ともに秀逸であるが、
感心したのは、キャスティング。
よくもこれだけの個性派を集めたものだと思う。

以後、白石和彌監督作品には常に注目していたし、
鑑賞後にレビューも書いている。(タイトルをクリックするとレビューが読めます)

『日本で一番悪い奴ら』(2016年)〈R15〉
『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年)〈R15〉
『サニー/32』(2018年)〈PG12〉

『凶悪』〈R15〉もそうであったが、
内容が過激で、R15指定連発の白石和彌監督であるが、(笑)


またまたR15指定の白石和彌監督の新作が公開された。
『孤狼の血』(2018年5月12日公開)である。


原作は、美しき作家・柚月裕子。


このブログ「一日の王」では、『慈雨』という小説のレビューを書いているが、
もともと好きな作家なので、『孤狼の血』もすでに読んでいた。


『仁義なき戦い』シリーズにインスパイアされて書かれた小説で、
いつかは映画化されるだろうと思っていたが、
『仁義なき戦い』シリーズの東映が名乗りを上げ、
白石和彌が監督するとは、嬉し過ぎる。
脚本は、『日本で一番悪い奴ら』の脚本も手掛けた池上純哉。
音楽も、『日本で一番悪い奴ら』に参加していた安川午朗。
役所広司が主演を務め、
松坂桃李、真木よう子、滝藤賢一、田口トモロヲ、石橋蓮司、江口洋介、竹野内豊、中村獅童、ピエール瀧、中村倫也、阿部純子など、共演陣にも期待が持てる。
公開初日の夜、仕事帰りに、
ワクワクしながら映画館に駆けつけたのだった。



昭和63年、
暴力団対策法成立直前の広島・呉原。
ここでは、暴力団組織が街を牛耳り、
新勢力である広島の巨大組織五十子会系「加古村組」と、
地元の「尾谷組」がにらみ合っていた。
所轄署の捜査二課に配属された新人の日岡秀一(松坂桃李)は、


ヤクザとの癒着を噂される刑事“ガミさん”こと大上章吾(役所広司)のもとで、


加古村組の関連企業「呉原金融」の経理担当社員が失踪した事件の捜査を担当することになる。
五十子・加古村組から尾谷組への挑発が続いていることから、
大上は、日岡を連れて、尾谷組の若頭・一之瀬守孝(江口洋介)に会う。


一之瀬は、若手の暴走を抑えるのにも限度があると大上に告げる。
呉原にある高木里佳子(真木よう子)がママを務める“クラブ梨子”で、
大上と日岡と一之瀬が飲んでいるところに、


五十子正平(石橋蓮司)と加古村猛(嶋田久作)が現れる。


偶然と語る五十子と加古村だったが、
呉原進出に本腰を入れてきたことは明らかだった。
大上は、旧知の仲の五十子会系の右翼団体代表の瀧井銀次(ピエール瀧)から、
「呉原金融」の経理担当社員・上早稲二郎(駿河太郎)が、


加古村組の若頭・野崎康介(竹野内豊)らから拉致されたとの情報を得る。


その証拠集めに向かう大上は、
日岡が止めるのも聞かずに、
飢えた狼のごとく、放火・窃盗・違法侵入などの多くの違法捜査を繰り返す。


そんな大上のやり方に戸惑いながらも、
日岡は仁義なき極道の男たちに挑んでいく……



のっけからの凄いシーンにのけ反りそうになる。(笑)
なにか食べながら見ていた人は、吐きそうになるのではないだろうか……
だから、飲食しながらの鑑賞は止めた方が無難だと思う。
冒頭からそれくらいのインパクトがある。

映画を見に行かない人に、
「なぜ行かないのか?」
と訊くと、
「2~3年すればTVでタダで観ることができるから……」
と答える人が多い。
だが、この映画『孤狼の血』は無理だろう。
TVでは到底見ることのできない映像だからだ。

このファーストシーンを試写で見て、役所広司は吹き出したという。
愉快だったからではない。逆だ。

いやあもう、エグくてエグくて(笑)。いきなりこんなシーンから始めるか! と思ったら笑えてきちゃってね。この映画、テレビに買ってもらう気はさらさらないんだな、と。そんな潔さに、“おお! やった!”みたいな気持ちについついなってしまいまして(笑)。(「キネマ旬報」2018年5月下旬号)

白石和彌監督もこう語る。

東映からも、かつての実録ヤクザ映画の頃の熱気を取り戻したい。振り切った演出を、というオーダーだったので。
(「キネマ旬報」2018年5月下旬号)

この冒頭のシークエンスは、実は、原作にはない。
原作は、完成度の高い作品で、とても面白い小説であった。
単なる『仁義なき戦い』の焼き直しではなく、
トリックも用いており、ミステリーとしても一級品であった。
だが、脚本を担当した池上純哉はこの原作を一旦壊し、再構築している。
そこに白石和彌監督の演出が加わり、
原作にはなかったエグさやグロさがプラスされ、
東映映画らしいテイストになっている。
冒頭のシーンで心をわしづかみにされ、
後は引っ張られるように物語の中へ引きずり込まれる。
〈原作を読んでいるので、面白味が薄れるかな~〉
と危惧していたが、
まったくそんなことはなくて、
原作を読んでいる方が(読んでいたからこそ)、より楽しめたような気がする。


「呉原東署・捜査二課・暴力団係・班長」の大上章吾を演じた役所広司。


原作では、ダーティーながらもカッコイイ刑事であったが、
映画で役所広司が演ずる“ガミさん”は、
原作よりも“どぐされ”感や、“エロ”感が増しており、
尋常ではない“暑苦しさ”と“男臭さ”が感じられた。
『渇き。』(2014年)の元刑事役のときも凄かったが、
本作『孤狼の血』には『渇き。』にはなかったダンディズムが感じられ、
とても魅力的だった。
どんな役をやってもその役の人物に思えてしまう演技力と存在感は圧倒的で、
役所広司ありきの『孤狼の血』であったと思う。
役所広司を主役にキャスティングできた時点で、
この映画が良いものになるということがほぼ決定したと言っていいだろう。



「呉原東署・捜査二課・暴力団係・大上班」のメンバー・日岡秀一を演じた松坂桃李。


数年前までは、単なるイケメン俳優であったが、
ここ2~3年、意識していろんな役に挑戦しているのが判る。
『ユリゴコロ』(2017年9月23日公開)
『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年10月28日公開)
『不能犯』(2018年2月1日公開)
『娼年』(2018年4月6日公開)
など、難役に挑む姿勢は評価に値する。
その挑戦する志の最初の到達点が、本作『孤狼の血』と言えるかもしれない。


映画が順撮りだったかどうかは分らないが、
映画の後半になるに従って、彼の演技が進化していくのが判ったし、
凄みが増していくのが感じられた。


どんどん逞しくなっていくのがわかった。

と役所広司も語っていたが、
この映画が松坂桃李という俳優にとって、
良い意味でのターニングポイントになることは間違いないだろう。



「尾谷組」の若頭・一之瀬守孝を演じた江口洋介。


原作では、大上に従順な感じで、仁義に厚く、激しい感情をあまり見せない男であったが、
映画では、大上にあまり従順ではなく、策を弄したり、激高したり、
ヤクザらしいヤクザに変更してあった。
江口洋介自身はヤクザの役は初めてだったらしいが、
非情さや冷酷さも併せ持つ一之瀬守孝を実に巧く演じていた。



“クラブ梨子”のママ・高木里佳子を演じた真木よう子。


原作では、「小料理や 志乃」の晶子という女が担っていた役を、
映画では“クラブ梨子”のママ・高木里佳子に変更してあった。
原作では、もう少し線の細い感じの女性をイメージしたが、
映画では、真木よう子という、好い意味での「オトコマエ」な女優が演じたことで、
情緒的な部分が減り、“男の世界”が強調され、
逆に真木よう子をより女性として感じてしまった。
ネットの世界は相手を攻撃することばかり考えている連中が多いので、
これからはTwitterやInstagramやCrowdfundingなどには安易に手を出さず、
大衆に迎合することなく、
いつまでもミステリアスな女優として活躍してもらいたい。



「五十子会」の組長・五十子正平を演じた石橋蓮司。
ヤクザ映画には欠かせない男優で、
この手の映画では必ずと言っていいほど出演している。
だからと言ってワンパターンな演技ではなく、
それぞれに工夫を凝らし、見る者を飽きさせない。
この作品での演技も秀逸なので、見逃さないように……
石橋蓮司が薬師丸ひろ子の歌声を聴いて号泣し、
薬師丸ひろ子のコンサートにも行っているという話はこのブログにも書いたが、
そういった純情な心を持った俳優だということにも私は好感を抱いている。
まさに、私の“同志”である。



「瀧井組」の組長(全日本祖国救済同盟の代表)・瀧井銀次を演じたピエール瀧。
白石和彌監督作品には欠かせない俳優で、
『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』『サニー/32』に次いで、4作目の出演になる。
テクノバンド「電気グルーヴ」のメンバーであり、ミュージシャンなのに、
その悪人顔故に、この手の凶悪な映画には引っ張りだこで、
北野武監督作品『アウトレイジ 最終章』(2017年)にも出演していた。
本作では、これまでのような凶悪さはあまりなく、
恐妻家であり、(笑)
大上とは学生時代からの喧嘩仲間のような役で、
この手の出演映画では、もっとも人間味のある役であった。



アルバイトの薬剤師・岡田桃子を演じた阿部純子。


原作にはない役で、
日岡秀一(松坂桃李)と恋人関係になるバツイチ女性の役であったのだが、


この映画に出演女優が少なかったということもあろうが、
出演シーンは多くはないものの、妙に印象に残る女優であった。
私は、阿部純子という女優を知らなかったのだが、
本作を見て、“良い女優”だと思った。
原作では、男と女の恋愛模様はほとんど描かれていなかったので、
“ドライ”な作品に“潤い”を出すために映画ではラブシーンを入れたのかなと思ったが、
さすが白石和彌監督、一筋縄ではいきません。(笑)
ラストの桃子の言葉に仰天。(何を言った?)



白石和彌監督が他の監督と一線を画すのは、
エグイものをエグイままにそのまま見せるということ。
冒頭のシーンしかり、
腐乱死体しかり、
陰茎から真珠を取り出すシーンしかり。(コラコラ)


北野武監督などは、むしろズバリのシーンを撮らずに、
観客に想像させることによって恐さを倍加させるような手法をとることが多いが、
白石和彌監督はなぜあえてそのものずばりを見せるのか?

それは、本来映画として見せるべきものはしっかり見せたほうが、物語が強くなるからですよ。露悪的に残酷な描写を見せろ、というわけじゃないです。今回の映画でもあまり好きではないというスタッフもいました。でも、一歩踏み込んだ表現をすることで、物語の展開としてより登場人物の感情が迫って観客も同じ気持ちになれると思ったので、そこはテレビで絶対にしない表現をしようと。見せないで作ることのほうが、むしろ難しくて、よりシンプルな作りになったと思いますよ。それと、東映のプロデューサーさんチームも、最初に企画を持ってきてくれたときから、「たいていのことは東映だから大丈夫。犯罪にならなきゃ大丈夫だから、やりきってくれ」と言ってくれたので。じゃあ、それは本気でやりきろう、と。

映像だけでなく、ことばもそのものずばりを多用する。
五十子正平(石橋蓮司)が、

「びっくり、どっきり、クリト○ス」

という(原作にはないセリフを言う)シーンがあるのだが、
これは、『仁義なき戦い 広島死闘篇』の名ゼリフ、

「いうなりゃ、あれらはおめこの汁で飯食うとるんで」

に対抗するものであったろう。
この部分を、原作者の柚月裕子も褒めていて、
小説が映画に負けたなと悔しく思うシーンに挙げていた。


柚月裕子は、『孤狼の血』の続編とも言うべき『狂犬の眼』をすでに書き上げ、
今年(2018年)の3月30日に刊行している。


『狂犬の眼』の主人公は日岡秀一である。
そう、大上章吾から日岡秀一にバトンタッチされたのだ。
(何故かは小説『孤狼の血』を読むか、映画『孤狼の血』を見れば解る)
もし、映画『孤狼の血』の続編が制作されるとすれば、
主役は日岡秀一、つまり松坂桃李ということになる。


さらに、柚月裕子によって大上再登場の3作目も進行中と聞く。


映画の続編だけでなく、続々篇にも期待できそうだ。
そういう意味でも、シリーズ第1作となる『孤狼の血』は見ておくべき作品であろう。
映画館でぜひぜひ。

辻村深月『かがみの孤城』 ……ラスト20頁、驚きの展開に涙が止まらない……

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「2018年本屋大賞」受賞作である。




今年の本屋大賞は、
1次投票を、昨年(2017年)11月1日から今年(2018年)1月4日まで行い、
全国の504書店、665人の投票があった。
その集計の結果、
上位10作品が「2018年本屋大賞」ノミネート作品として決定。
この上位10作品がノミネート本として2次投票に進んだ。
そして、4月10日に、「2018年本屋大賞」が発表された。




【辻村深月】(つじむら・みづき)
1980年生まれ。
千葉大学教育学部卒業。
2004年『冷たい校舎の時は止まる』でデビュー。
『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞を、
『鍵のない夢を見る』で第147回直木賞を受賞。
他の著書に『凍りのくじら』『ぼくのメジャースプーン』『スロウハイツの神様』『島はぼくらと』『ハケンアニメ!』など多数。


本屋大賞は、「全国書店員が選んだ いちばん! 売りたい本」ということで、
販売する側が、売れそうな本を選ぶようなイメージがあって、
正直、私個人としては、本屋大賞にはそれほど関心がなかった。
だが、気になることは気になるので、
〈どんな本なんだろう……〉
と、一応図書館に予約してみる。
受賞作でなかったら、絶対手に取らないような本が多いのだが、
読んでみると、案外面白い。
で、昨年も、一昨年も、受賞作のレビューを書いている。
(タイトルをクリックするとレビューが読めます)

「2017年本屋大賞」受賞作『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)
「2016年本屋大賞」受賞作『羊と鋼の森』(宮下奈都)

「2018年本屋大賞」受賞作の『かがみの孤城』も、
読んでみたら、とても面白かった。
で、今年もレビューを書く気になったのである。



中学1年生の安西こころは、
ある出来事を機に学校へ行けなくなり、
いつも家で過ごしている。
ある日、一人で家にいると、部屋の鏡が突然輝き始め、
鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物だった。
「安西こころさん。あなたは、めでたくこの城のゲストに招かれました!」
6歳か7歳くらいの狼のお面をつけた女の子が言う。
城の管理人とおぼしきその少女は、「“オオカミさま”と呼べ」と胸を張る。
城に集められたのは、こころを含め、似た境遇にいるらしき中学生が七人。

ジャージ姿のイケメンの男の子「リオン」中学1年生。
ポニーテールのしっかり者の女の子「アキ」中学3年生。
眼鏡をかけた声優声の女の子「フウカ」中学2年生。
ゲーム機をいじる生意気そうな男の子「マサムネ」中学2年生。
『ハリーポッター』のロンみたいなそばかすの物静かな男の子「スバル」中学3年生。
小太りで気弱そうな男の子「ウレシノ」中学1年生。
そして、中学1年生の女の子「こころ」。


午前9時から午後5時まで滞在が許されるその城で、
彼らにはひとつの課題が出される。
「お前たちには今日から3月まで、この城の中で、“願いの部屋”に入る鍵探しをしてもらう。見つけたヤツ一人だけが、扉を開けて願いを叶える権利がある。つまりは、“願いの鍵”探しだ」
そして、こうも付け加える。
「ちなみに、毎日城が開くのは、日本時間の朝九時から夕方五時まで、だから、五時までには鏡を通って必ず家に帰ること。これは絶対守らなきゃならないルールで、その後まで城に残っていた場合、お前らには恐ろしいペナルティがある」
そのペナルティとは、「狼に食われる」ということ。
巨大な狼が出てきて、頭から丸のみするのだという。
戸惑いながらも七人は、
少しずつ心を通い合わせていくのだが……


読み始めると、
なんだかライトノベルのような文体だし、
私の苦手なファンタジーっぽい小説だったし、
しかも554頁もあるので、
〈ちょっと無理かな?〉
と思った。
老い先短い身なので、(笑)
無駄な時間を過ごしたくない。
そう思いながらも、
〈「本屋大賞」受賞作だから、きっと良い部分がある筈……〉
と思いながら読み進めると、次第に面白くなってきた。
この『かがみの孤城』は、

第一部・様子見の一学期
五月
六月
七月
八月
第二部・気づきの二学期
九月
十月
十一月
十二月
第三部・おわかれの三学期
一月
二月
三月
閉城
エピローグ

と、構成されており、
第一部のときは、読む方も「様子見」のような感じなのだが、
第二部になると、まさにいろいろなことに「気づく」ようになり、
第三部に至ると、頁をめくる手が止まらなくなった。
この小説と「おわかれ」したくなくなっているのだ。
そして、ラスト20頁(534~554頁)は、涙が止まらなくなった。
十代を中心とした青少年向けの小説と思っていたのだが、
このラストにきて、全世代に向けて書かれた小説であることに気づかされた。
若い人とは感動するポイントが違っているかもしれないが、
60代の私だからこそ気づくことができた部分があったし、
本当に、読んで良かったと思った。

この小説は、読む前に、あまり予備知識を入れない方がイイ。
その方が、より感動が大きくなると思う。
だから私も、最小限のことしか書いていない。
この小説を読み終えたとき、
周囲を見渡してみると、ちょっぴり世界が変わっているような気がした。
風景だけでなく、
私の近くにいる人たち、
たとえば配偶者、子供たち、孫たち、友人、知人、会社の同僚など、
縁あって私と繋がっている人々のことが、
前よりも一層愛おしく思えるようになっているのだ。
この不思議な体験を、みなさんにもぜひ味わってもらいたい。

デビューして二作目を書く時、誰に向けて書いたらいいのか分からなくなってしまった時、編集者に“作家はたった一人の信頼できる読者のために書けばいい”と言われたんです。その言葉は今も私の指標になっているのですが、デビューして十年が過ぎて、その信頼できる読者って誰なのか考えると、やっぱり十代の時の、いちばん厳しい目を持ち、強く渇望して本を読んでいた時の自分なんです。もしもタイムマシンであの頃の自分に一冊だけ自分の小説を渡せるなら、この『かがみの孤城』を渡したい。


と、辻村深月は語っているが、
タイムマシンがあったら……のくだりを書店に配るPOPにも書いたところ、


大人の読者から、
「タイムマシンはないけれど、私には届きました」
と言われ、

泣きそうになりました。頑張って書いてよかったです。

と、告白している。
そういう意味では、60代の私にもしっかり届いた小説であった。
ぜひぜひ。

天山 ……ミヤマキリシマを楽しんだ後に、フタリシズカやキンランを愛でる……

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5月16日(水)

今日は、午前中に用事があったので、
天川登山口に着いたのは、正午近くだった。
平日だし、ガスっていたし、
駐車場には2台の車しかなかった。
ゆっくりと歩き出す。


幻想的な雰囲気。




バイカイカリソウも水滴を纏っている。


美しい。


いつもの場所でパチリ。


所々にミヤマキリシマが咲いている。


登山道に、ミヤマキリシマの小さな株があったのだが、
立派な花を3輪もつけていた。


天山山頂に到着。
登っているときに、2組の登山者とすれ違ったので、
山頂には誰もいなかった。
嬉しい。


まったく展望がないので、稜線散歩へ。


縦走路にも、ミヤマキリシマが所々に咲いている。




くじゅうや雲仙ほど密生していないが、
このぽつぽつ感が天山のミヤマキリシマだ。


色違いのミヤマキリシマが小さな塊を作って、なんだか花束のようだ。


色が濃い方と、


色が薄い方。
どちらも、いいね~


ここは、ちょっとだけ密生している。


私など、やはり天山のミヤマキリシマが一番のお気に入り。


家のすぐ近くでミヤマキリシマを見ることができるなんて、
こんな贅沢はないだろう。


面白い枝ぶりの木を発見。


今はまだ咲き始めといったところだが、
もう花が終わっているミヤマキリシマの木もあり、
いつがピークとは言えないような感じ。




訪れた日が“ベストの日”と思った方がイイ。




彦岳が見える所まできて、引き返す。


そして、いつもの場所でランチ。


本日の「天山南壁」。


バイカイカリソウや、


ヒメハギは終盤を迎えていたが、


モウセンゴケや、




ホソバノヤマハハコが姿を見せていて驚いた。
今年は、2株あったので、楽しみだ。


踏まないように気をつけてね。




この後、散歩道へ。


サバノオは、すでにほとんどが鯖の尾になっていた。




だが、花もちらほら。
太陽が出ていなかったので、開いていなかったが、
ちょっとい嬉しい。




天山は、標高の高い場所に咲くので、
他の山よりは遅くまで咲いている。


晴れた日にまた来ようか……




アマドコロが群生していた。


カワイイ。


大好きなカノコソウも至る所に咲いている。


タツナミソウや、


ハタザオや、


ミズタビラコや、


フタリシズカも咲いている。


キンランは、5株ほど見つけることができた。


今日も「一日の王」になれました~

曽根麻矢子(チェンバロ)コンサート ……佐賀県伊万里市の西念寺にて……

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今年(2018年)から始めている「逢いたい人に逢いに行く」という企画。
これまで、
1月27日、E-girlsのパフォーマーであり女優の石井杏奈(イベント)、
2月11日、女優でボーカリストの薬師丸ひろ子(コンサート)、
2月26日、女優の蒼井優(舞台)、
3月17日、ボーカリストの手嶌葵(コンサート)、
4月7日、女優でボーカリストの薬師丸ひろ子(映画祭)
に逢ってきた。
6回目となる今回は、チェンバロ奏者の曽根麻矢子。


【曽根麻矢子】(そね・まやこ)
桐朋学園大学附属高校ピアノ科卒業。
高校在学中にチェンバロと出会い、
1983年より通奏低音奏者としての活動を開始。
1986年ブルージュ国際チェンバロ・コンクールに入賞。
その後渡欧を重ね、同コンクールの審査員であった故スコット・ロスに指導を受ける。


ロスの夭逝後、
彼の衣鉢を継ぐ奏者としてエラート・レーベルのプロデューサーに認められ、
1991年に同レーベル初の日本人アーティストとしてCDデビューを果たした。


以後、
イスラエル室内オーケストラのツアーや録音に専属チェンバリストとして参加するほか、
フランスおよびイタリア等のフェスティバル参加、
現代舞踊家とのコラボレーションなど国際的に活躍。
日本国内でもリサイタル、室内楽と積極的な音楽活動を展開するとともに、
テレビ、ラジオへの出演、雑誌「DIME」でのエッセイ連載、『いきなりパリジェンヌ』(小学館)の刊行など多才ぶりを見せている。


録音活動も活発に行い、エイベックス・クラシックスよりCDを多数リリースしている。
また、
2003年からの全12回、6年にわたるJ.S.バッハ連続演奏会(浜離宮朝日ホール)に続き、
2010年から2014年まで全12回のF.クープランとラモーのチェンバロ作品全曲演奏会(上野学園エオリアンホール)を行い、いずれも好評を博した。
1996年「第6回出光音楽賞」をチェンバロ奏者として初めて受賞。
1997年飛騨古川音楽大賞奨励賞を受賞。
2011年よりスタートした「チェンバロ・フェスティバルin東京」では芸術監督をつとめている。
上野学園大学特任教授。


チェンバロとは?
鍵盤を用いて弦をプレクトラムで弾いて発音させる楽器で、
撥弦楽器(はつげんがっき)、または鍵盤楽器の一種に分類される。
英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサンという。
狭義にはグランド・ピアノのような翼形の楽器を指すが、
広義には同様の発音機構を持つヴァージナルやスピネット等を含めた撥弦鍵盤楽器を広く指す。
チェンバロはルネサンス音楽やバロック音楽で広く使用されたが、
18世紀後半においてピアノの興隆と共に徐々に音楽演奏の場から姿を消した。


しかし20世紀に復活し、
古楽の歴史考証的な演奏に用いられ、現代音楽やポピュラー音楽でも用いられている。


もともとチェンバロの音色が好きで、
出勤する車の中などでよく聴いているのだが、
日本の奏者では、曽根麻矢子さんのCDを好んで聴いていた。
コンサートも何度か行っており、
CDにサインをしてもらったこともある。


そんな曽根麻矢子さんのコンサートが、
我が家から車で20分ほどの所にある伊万里市の西念寺で行われるという。
そのことを地元紙の記事で知った。

伊万里市大坪町上古賀の西念寺(井手恵住職)で5月19日午後6時から、チェンバロ奏者曽根麻矢子さんのコンサートがある。繊細で豊かな音色に浸りながら心と向き合い、命の大切さなどについて考える。
親鸞聖人の誕生日(5月21日)を祝う降誕会(ごうたんえ)に合わせて毎年、第一線で活躍する音楽家や学識者を招いた催しを開いている。曽根さんは日本を代表するチェンバロ奏者で、バッハの名曲などを披露する。門徒以外でも誰でも入場できる。

「門徒以外でも誰でも入場できる」と書いてあったので、
行ってみようと思った。
西念寺の井手恵住職は、かつて(20数年前)地元紙で、
アレグリーニ・アレグリーノ神父との「往復書簡」を連載されおり、
イタリア人神父と浄土真宗僧侶が語り合うというミスマッチな組み合わせが面白く、
世代、宗教の垣根を超えて、宗教や政治、いじめ、環境問題などを語り合うという内容も興味深かったので、私は毎回熟読していた。
『心のシルクロード : 神父と僧侶の往復書簡』(佐賀新聞社/1995年刊)という本にまとめられ出版されているので、ご存じの方も多いことと思う。


そんな井手恵住職が、今度は、「お寺でチェンバロ演奏」という、これまたミスマッチな面白さのあるコンサートを企画された。
もともとチェンバロの音はそれほど大きくないので、大ホールのような場所は適さない。
案外、お寺のような空間の方が良い音色を生むのではないか……と思った。
で、ワクワクしながら伊万里市にある西念寺へ向かったのだった。


西念寺に到着。




炎は美しい。


本堂の中に入ると、
チェンバロを調律中であった。


調律しているのは、
唐津市浜玉町で工房を構える調律師の中村壮一氏。


このチェンバロは、中村氏自身が1990年に制作したもので、
国内外の一流アーティストの要望を受け、
演奏会でたびたび愛用されているとのこと。


佐賀県にチェンバロは2台しかなく、
その内の1台がこのチェンバロだそうだ。


午後6時が近くなり、
多くの人たちが集まってきた。


午後6時から降誕会のおつとめがあり、
午後6時半からコンサートが始まった。
登場した曽根麻矢子さんはとても若々しく、溌剌としておられた。
ご自身が書かれているブログに、
「生まれ年ワイン」と題し、

ワイン仲間との新年会で、自分の生まれ年ワインをいただきました。
1964年のラフィットロートシルドです。
とても素晴らしい状態でした!
雨に濡れた枯葉の様な香り…
素晴らしい熟成感を堪能させていただきました。

と書かれているので、
1964年(11月11日)生まれの53歳(2018年5月現在)
ぜんぜんそんなお年には見えない。


井手恵住職から、
「自由にお弾き下さい」
と言われていたそうで、
「プログラムなしで弾きたい曲を弾いていきます」
と冒頭に曽根さんは宣言された。(笑)
前半は、
バッハの「アリア」や「プレリュード」、
シャンボニエールの「神達の対話」などを次々に演奏され、
休憩を挟んで、
後半は、全部スカルラッティの曲であった。
曽根さんは、
今年(2018年)7月22日に、
フランスのモンペリエで開催される「スカルラッティ・フェスティバル」に出演することになっており、
そこでは、ソナタ555曲を、30人のチェンバリストで演奏することになっている。
曽根麻矢子さんは、そのうちの17曲を演奏するそうで、
すべて、これまで一度も演奏したことのない曲だとか。
いま、暇を見つけては練習しているとのこと。
後半は、
曽根麻矢子さんが担当するそのスカルラッティの曲を演奏されたのだ。
アンコールは、ソレルの「ファンタンゴ」だった。(井手恵住職からリクエスト)


お寺でのおつとめの後のコンサートということで、
1時間くらいで終わるかなと思っていたら、
2時間を軽く超えるコンサートであった。
井手恵住職からの「自由にお弾き下さい」は、
選曲だけでなく演奏時間も指していたようだ。
曽根麻矢子さんはチェンバロを弾くのが楽しくて仕方ないような感じで、
いつまでも弾いていたいような雰囲気であった。
聴いている我々も幸福感に包まれ、楽しいひとときを過ごすことができた。
今日も「一日の王」になれました~


【動画】(4曲収録・14分間)
4曲目がアンコールで演奏して下さったソレルの「ファンタンゴ」。
3曲目と4曲目のヘアースタイル、ファッション(そして演奏)にも注目!

映画『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』…エル・ファニングに逢いたくて…

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日本の女優では、
広瀬すず、小松菜奈、石井杏奈、蒼井優(他にも数名)の出演作はすべて見たいと思っている。
先日も、広瀬すずが出演している映画『ラプラスの魔女』(2018年5月4日公開)を見に行ったが、
残念ながらレビューを書くほどの作品ではなかった。(広瀬すずは悪くなかったが……)
たまにそういうこともある。
海外の女優では、
メリル・ストリープやエル・ファニングの出演作はすべて見たいと思っている。
で、先日、エル・ファニングの出演作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』を見た。
今年(2018年)の2月23日に公開された作品であるが、
佐賀では、シアターシエマで、5月中旬になってようやく公開された。
遅くなってもエル・ファニングの出演作を見ることができるのは、やはり嬉しい。
監督は、ソフィア・コッポラ。


本作は、第70回カンヌ国際映画祭で、
(ミヒャエル・ハネケやジャック・ドワイヨンら名だたる巨匠たちを抑え)
監督賞を受賞している。
女性としては56年ぶり、史上2人目という快挙だった。


そのソフィア・コッポラ監督作『SOMEWHERE』(2011年日本公開)にも出演していたエル・ファニング。
『SUPER 8/スーパーエイト』(2011年日本公開)でエル・ファニングを見初めて、
次に見た作品が『SOMEWHERE』だったのだが、
〈これからもエル・ファニングの出演作をずっと見ていこう〉
と決意した作品でもあった。
(両作品ともタイトルをクリックするとレビューが読めます)
7年前のレビューを読み返し、エル・ファニングの写真を見ると、
様々な思いが蘇ってくる。
まだ成長過程だが、
彼女の最近の映画を見ても、素晴らしい女優になっているのが判る。
〈エル・ファニングを応援してきて良かったな〉
とつくづく思う。
そんなエル・ファニングの最新作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』を、
私はワクワクしながら鑑賞したのだった。



1864年。
美しい鳥のさえずりが響くバージニア州の森には、
遠くから絶え間なく大砲の音が聞こえ、
3年目に突入した南北戦争が暗い影を落としていた。


キノコ狩りをしていた女子寄宿学園に通うエイミー(ウーナ・ローレンス)は、


傷を負った北軍兵士マクバニー(コリン・ファレル)を発見。


手当をするため学園へ連れ帰ることに。


マーサ・ファーンズワース女子学園は、
園長のマーサ(ニコール・キッドマン)、
教師のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)、
そして家に帰ることができない事情を抱えたエイミーをはじめ、
アリシア(エル・ファニング)、
ジェーン(アンガーリー・ライス)、
エミリー(エマ・ハワード)、
マリー(アディソン・リーケ)の5人の生徒が暮らしていた。


招かざる敵兵の出現にはじめこそ戸惑うものの、
キリスト教の教えに従い回復するまで面倒を見ることに。
男子禁制の学園で暮らしていた乙女たちは、
ワイルドでハンサムなマクバニーに興味津々。
早熟なアリシアは思わせぶりな視線を投げかけ、


エドウィナは肩の出たドレスを着てセクシーさをアピールし、


まだ幼いマリーまでが負けじとエドウィナの装飾品を黙って借りて着飾る始末。


園長のマーサはそんな彼女たちをたしなめるものの、
手当をするために久しぶりに触れた生身の男性の身体に、
彼女自身も胸の高鳴りを抑えきれずにいた。


手厚い看病を受けるマクバニーは、誠実な態度で信頼を勝ち取り、
7人全員から好意的に受け入れられるまでに。


ただし、誰にでも愛想を振りまき、
女性たちが自分に虜になることを楽しむかのような態度は、






秩序を保ってきた集団の歯車を次第に狂わせていく……



南北戦争期のアメリカ南部にある寄宿学園を舞台に、
負傷して運び込まれた北軍兵士をめぐって、
女性たちが情欲と嫉妬をむき出しにする……
このようにストーリーを紹介すると、映画ファンならば、
クリント・イーストウッド主演のドン・シーゲル監督作品『白い肌の異常な夜』(1971年)を思い出す人が多いことだろう。




『白い肌の異常な夜』とはスゴイ邦題だが、(笑)
原作は、トーマス・カリナンの小説『The Beguiled』。
【The Beguiled】には、
「楽しませる」「喜ばせる」「接待する」などという意味と、
「騙す」「欺く」「紛らわせる」というようなまるっきり違う意味もあるらしい。
両方の意味を持つ作品なので、
『白い肌の異常な夜』も『欲望のめざめ』も邦題としてはあまり相応しくないような気がするので、
『The Beguiled/ビガイルド』だけでも良かったかもしれない。
私など、「紛らわせる」という意味から『息抜き』『暇つぶし』というようなタイトルが好みだが、
それはそれでとても恐い気がする。(笑)
『白い肌の異常な夜』が男性視点で描かれていたのに対し、
ソフィア・コッポラ監督は、女性視点で描くことに注力することによって、
『白い肌の異常な夜』の単なるリメイクになるのを避け、
ストーリーは同じでも、『白い肌の異常な夜』とは違った作品にしている。


女性たちの映像が美しく、
ファッションが美しく、
仕草が美しく、
言葉遣いまでが美しい。
美しいが故に、
赤裸々にあぶり出される女性たりの欲望や嫉妬が蠱惑的で、
見る者を耽美的な世界へと誘ってくれ、
ソフィア・コッポラ監督の独自の世界を創り上げている。
第70回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するだけのことはあるなと思った。



マーサ・ファーンズワース女子学園・園長のマーサを演じたニコール・キッドマン。


1967年6月20日生まれなので、現在50歳。(2018年5月現在)
〈かのニコール・キッドマンも50代になったか……〉
と感慨深いが、
50代になっても凛とした美しさは変わらない。


『パーティで女の子に話しかけるには』でもエル・ファニングと共演していたが、
あのときは、パンクロッカーたちを束ねるボス的存在の女性の役で、
ド派手なメイクで、見る者の度肝を抜く演技をしていた。
これが実に格好良かった。
『パーティで女の子に話しかけるには』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、

キッドマンの私生活はむしろ保守的な気さえするが、演技となると話が違う。いつも冒険したがっていて、それまでとは別のことにチャレンジする。監督選びも独特で、ラース・フォン・トリアーからパク・チャヌクまで個性的な監督の作品に好んで出ているし、脇役でも興味があれば出演する。次にどんな人と組んだらおもしろいのかをいつも考える。そんな挑戦をしている女性は、たぶん彼女とイザベル・ユペールくらいじゃないかな。ギャラとか名声にはこだわらないし、外見も気にしていない。(『キネマ旬報』2017年12月上旬号)

と語っていたが、
『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』では、
『パーティで女の子に話しかけるには』とは真逆の役柄で、
古風で、頑なな性格で、それ故に己の欲望に戸惑いをみせる女性を、
実に繊細に演じていた。



教師のエドウィナを演じたキルスティン・ダンスト。


キルスティン・ダンストで思い出すのは、
第64回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した『メランコリア』(2011年)という映画なのだが、


これが実に不思議な映画だった。
地球に巨大な惑星が接近中という異様な設定の中、
タイトル通り憂鬱な精神状態の花嫁が、精神崩壊していく様を描いた物語で、
「己の終わり」が「地球の終わり」と重なり、
衝撃的なエンディングを迎えるのだ。
鬼才ラース・フォン・トリアーが、
鬱病でにっちもさっちもいかない時期に構想し、創り上げた映画なので、
すべてがぶっ飛んでいて、レビューを書きたいのだが、書けなかった作品であった。
キルスティン・ダンストは、
子役時代を経て、『スパイダーマン』シリーズ(2002年~2007年)でヒロインを演じるなど、
アイドル的なイメージであったが、
2008年2月にアルコール依存治療のため、ユタ州にあるリハビリ施設に入所。
入所理由は薬物治療ではなく、鬱状態の治療のためだったらしいが、
そんな状態のキルスティン・ダンストが演じた『メランコリア』は、
強く印象に残る作品で、キルスティン・ダンストという女優が特別な存在になった作品であった。


キルスティン・ダンストは、
1982年4月30日生まれなので、36歳になったばかり。(2018年5月現在)
しかし、本作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』では、もっと老けて見えた。
役作りでそうしたのかもしれないが、若々しさがまったくなかった。
女性としての魅力が乏しかった。
そんなキルスティン・ダンストが演じる教師のエドウィナは、
傷を負った北軍兵士マクバニー(コリン・ファレル)に最も積極的で、


それでいて何を考えているのか解らないような茫洋としたところもあり、
キルスティン・ダンストが創り上げたその謎めいた女性像が秀逸であった。



早熟な少女・アリシアを演じたエル・ファニング。


私としては、エル・ファニングの出演シーンがもっとたくさんあると思っていたのだが、
意外に少なく、(私の期待が大きい分、そう感じてしまったのかもしれないが……)
もっと彼女を見ていたかったというのが、正直な感想。
とは言え、少なく感じたその出演シーンの中で、
きっちりアリシアという少女を演じ切っているのは「さすが!」と思わされた。


エル・ファニングがソフィア・コッポラ監督作品『SOMEWHERE』にも出演していたことは先程書いたが、
あれから7年ほど経っており、随分と大人になった。
私は子役時代から見ているが、女優として順調に成長しているのが嬉しい。


『パーティで女の子に話しかけるには』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、

彼女の世代ではベストな女優だと思う。(中略)女優としては本物のプロ精神を持っていて、ナルシスティックなところがまるでない。ずうっとショービジネスで育った子役出身の女優にはどこか常識からずれたところがあるけれど、彼女はすごくノーマルで、彼女みたいな人は珍しいと思う。(『キネマ旬報』2017年12月上旬号)

と語っていたが、私もそう思う。
今後もエル・ファニングの出演作を見続けていくつもりでいるが、
私よりも40歳以上も年下なので、
彼女の生涯における全出演作を見ることができないのが残念だ。
それでも、いつまでも見ていたいと思わせる女優に出逢えたことは、
私の人生においては大きな収穫である。
そんな女優に出逢えた幸運に感謝したい。


映画『アバウト・レイ 16歳の決断』 ……難役に挑戦し続けるエル・ファニング……

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またもや、
私の大好きなエル・ファニングの主演作である。
2018年2月3日に公開された作品であるが、
先に紹介した『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』と同様、
佐賀(シアターシエマ)では、5月中旬になってやっと上映され始めた。
16歳のトランスジェンダーのレイと、
レイを見守る家族の姿を描いた作品で、
メガホンを取るのは、女優としても活躍してきたゲイビー・デラル。


ナオミ・ワッツ、スーザン・サランドンら実力派が共演しているのも楽しみ。


実は、この作品『アバウト・レイ 16歳の決断』は、
日本では当初2016年1月22日の公開が予定されていたにもかかわらず、
様々な事情で、2015年12月に中止(延期)が発表された。
理由は、(これは、最近になって判ったことであるが)
トロント国際映画祭(2015年9月12日)で披露された際に凡庸な評価を受けたことで、
本作のプロデューサーであるワインスタインが、
作品のクオリティを引き上げるべく、何度も編集に手を加えたから。
ワインスタインといえば、
昨年(2017年)、ニューヨーク・タイムズ紙が、彼の過去30年以上にわたるセクハラ行為をスクープしたことから、
セクハラ撲滅を訴える「#MeToo運動」により集中砲火を浴びせられている人物であるが、
仕事に関しては優れており、敏腕プロデューサーとして、
『ロード・オブ・ザ・リング』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『イングロリアス・バスターズ』など、
ヒット作、オスカー受賞作を次々と世に送り出している。
ワインスタインが何度も編集に手を加えたことにより、
2015年にトロント映画祭でプレミア上映されたものに比べ、
それぞれのキャラクターをより深く掘り下げた「3世代の家族の物語」として完成度が高まっているとか。
タイトルも『About Ray』から、『3 Generations』に変更されている。
(日本でのタイトルは当初のまま)


公開中止が発表されたときには、
〈このままずっと見られないのではないか……〉
〈お蔵入りしてしまうのではないか……〉
と、心配していただけに、
2年遅れたとはいえ、
こうして佐賀でも上映が決まり、ホッとしたし、嬉しかった。
『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』を鑑賞してから数日後、
私は、またしてもシアターシエマへ駆けつけたのだった。



トランスジェンダーで16歳のレイ(エル・ファニング)は、


身も心も男性として生きていくことを、母親のマギー(ナオミ・ワッツ)に告げる。


思わぬカミングアウトと、医師から渡されるホルモン治療の資料などに、
〈娘だったのに、突然、息子を育てることになるなんて……〉
と、動揺を隠しきれない母マギーは、
不安を打ち消すかのように近所に住む青年と一夜を共にする。
一方、すでにレズビアンであることをカミングアウトし、
パートナー・フラニー(リンダ・エモンド)と暮らしている祖母ドリー(スーザン・サランドン)は、


レイを応援はしているものの、その気持ちを充分に理解できず、
「女性が好きなら、レズビアンと公言すればよくない?」
と少々的外れな発言も……


髪を短く切り、身体を鍛え、少しずつ“本当の自分”に近づいていくことで生き生きしてくるレイの姿を見て、


マギーは意を決して、治療の同意書のサインをもらうために、何年も会っていない別れた夫に会いに行くのだが、
そこでまさかの“家族の秘密”が明らかになるのだった……



エル・ファニングほど、変化し続けている女優もいないだろう。
主な作品を並べてみただけでも、それが判る。
(公開年はアメリカ本国でのもので、日本公開は順序が入れ替わっている場合もある)

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)
『SOMEWHERE』(2010年)
『SUPER8/スーパーエイト』(2011年)
『Virginia/ヴァージニア』(2011年)
『幸せへのキセキ』(2011年)
『マレフィセント』(2014年)
『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2015年)
『アバウト・レイ 16歳の決断』(2015年)
『ネオン・デーモン』(2016年)
『20センチュリー・ウーマン』(2016年)
『夜に生きる』(2016年)
『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』(2017年)
『パーティで女の子に話しかけるには』(2017年)

特に、ここ数年は、難役に挑戦し続けているとしか思えないような充実ぶりで、
ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品『ネオン・デーモン』
ソフィア・コッポラ監督作品『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』
ジョン・キャメロン・ミッチェル監督『パーティで女の子に話しかけるには』
など、異色の監督とタッグを組んでいるし、
年齢と共に出演作を選ぶ目も確かなものになっている。
どちらかというと、(日本では)ミニシアター系の作品が多く、
佐賀での上映作が少ないのが難点だが、
こんなにいろんなエル・ファニングを見ることができて、
彼女のファンとしては嬉しい限りである。
紹介している本作『アバウト・レイ 16歳の決断』は、
その中でも特に難しい役で、
女性として生まれたものの、
身も心も男性として生きていくことを決意したトランスジェンダーを演じている。


エル・ファニングを子役の頃から見ているし、
背がそれほど高くない美しい少女というイメージを抱いていたので、


〈男性として生きていくことを決意したトランスジェンダーを演じることができるのか?〉
〈不自然さを感じないだろうか?〉
と、映画を見る前は心配していた。
だが、本作を見始めると、そんな思いは杞憂であった。


ナオミ・ワッツやスーザン・サランドンと並んでも身長差がかなりあり、
〈えっ、エル・ファニングの身長っていくつ?〉
と思って調べたら、175cmということでビックリ。


〈いつのまにそんなに成長したのか……〉
ということで、エル・ファニングの美少年ぶりを堪能できたし、
素晴らしい演技も楽しむことができた。
中でも、
「まさかの“家族の秘密”が明らかになる」シーンでのレイ(エル・ファニング)の絶叫は、
本作でのエル・ファニングの存在を強く印象付けるものであったし、
名シーンであったと思う。

出勤前なので、この辺で終えようと思うが、
エル・ファニングのファンなので、彼女のことしか書かなかったが、
ワインスタインが何度も編集に手を加えたことにより、
タイトルが『About Ray』から、『3 Generations』に変更されたように、
レイ(エル・ファニング)、
母親のマギー(ナオミ・ワッツ)、
祖母ドリー(スーザン・サランドン)の、
3世代を描いた物語になっている。
だから、あらゆる世代の人に楽しめる作品になっている。
それぞれに問題を抱えた3人が、
荒波を乗り越えてたどり着くのはどんな場所なのか……
それをぜひ見届けて欲しい。


エル・ファニング自身が、
「どの役よりも誇りに思っている」
と公言する作品『アバウト・レイ 16歳の決断』。


機会ありましたら、ぜひぜひ。
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