直木賞作家・唯川恵が、
田部井淳子をモデルに書き上げた長篇小説である。
田部井淳子を知らない人はいないと思うが、
簡単に説明すると、
女性として、世界で初めて、“世界最高峰エベレスト”および“七大陸最高峰”への登頂に成功したことで知られる登山家で、
その後も、数々の偉業を成し遂げ、
2012年にがんを患ってからも、
東日本大震災の被災地・東北の高校生とともに富士山に登るなど、
生涯現役を貫いた。
2016年10月20日、腹膜がんにより死去。(享年77歳)
田部井淳子を小説として描いているので、
タイトルは『淳子のてっぺん』となっているものの、
苗字の方は“田部井”ではなく“田名部”としてあり、
その他の登場人物も、違う名前に変えてある。(一部、本名もあり)
私自身、田部井淳子の著書は少なからず読んでいたし、
〈こうして小説として描く意味があるのか……〉
と思ったが、
あの直木賞作家・唯川恵が書いたとなれば、話は別だ。
ワクワクしながら読み始めたのだった。

1939年(昭和14年)、淳子は、福島県の三春町で生を享ける。
背の低い淳子のあだ名は、“ちびじゅん”。
幼馴染みの勇太と、木登りや岩登りなどをして元気に育つ。
1949年(昭和24年)の夏休みに、淳子は、初めて山登りをする。
担任の田中先生が引率する課外授業で、那須岳へ登ったのだ。
以来、山登りに強い関心を持つようになる。
東京の女子大の進学した淳子は、
東京近郊の山々に登って益々山の魅力に取り憑かれ、
出版社に就職した後も、山岳会に入会してより難度の高い山を目指すようになる。
ただ、山が好きで、
会社勤めをしながら暇さえあれば山に登っていた淳子。
山が好きだということをのぞけば、ごく平凡な女性の淳子が、
女性だけの登山隊でヒマラヤを目指すことになる。
最初の目標はアンナプルナ。
「女なんかに登れるはずがない」
という言葉に反発して挑戦したが、
初めての海外遠征は、
資金繰り、寝る暇もない膨大な準備、女性隊員同士の嫉妬、軋轢、分裂と、
大変なことだらけ。
登頂は成功したが、苦い物が残った。
複雑な思いでいる淳子に
「ねえ、エベレストに行かない?」
と声をかけたのは、
ともにアンナプルナで苦労した隊長の明子だった。
成功すれば、女性として世界初だ。
山男である夫の正之に
「行くべきだよ」
と励まされ、
淳子は決意を固める。
アンナプルナ以上の困難を乗り越え、
8848メートルの頂きに立った淳子の胸に去来したのは……

430頁を超える分厚い本だったので、
〈面白くなければ途中で止めよう〉
と思って読み始めたのだが、
最後の頁まで一気読みであった。
これほど面白く読めるとは、想像していなかった。
さすが直木賞作家!
【唯川恵】
1955年、石川県生まれ。
金沢女子短期大学(現金沢学院短期大学)卒業後、
銀行勤務などを経て、
1984年『海色の午後』で第3回コバルト・ノベル大賞を受賞しデビュー。
2002年『肩ごしの恋人』で第126回直木賞受賞。
2008年『愛に似たもの』で第21回柴田錬三郎賞受賞。
『燃えつきるまで』『雨心中』『テティスの逆鱗』『手のひらの砂漠』『逢魔』『啼かない鳥は空に溺れる』など著書多数。
このような山を題材にした小説は、
作家自身の山登りの経験の有無が大きく影響してくるが、
唯川恵の登山との出会いは、2003年の軽井沢移住にまでさかのぼるという。
愛犬をよりよい環境で飼いたいという思いから、軽井沢に移住を決めたのだが、
移住後、山が好きな夫に誘われて浅間山へ初めての登山をする。
このときは、あまりにもつらくて途中で挫折するが、
その後、愛犬の死をきっかけに、再び登るようになったという。
心の友を失った唯川恵の立ち直りのきっかけになったのが山登りだったのだ。
今では、月に1回は、浅間山を中心に山登りをしているそうだ。
田部井淳子とは、軽井沢で出会った人からのつながりで知り合ったとか。
そのころ、
〈女性の人生を追ってみたい〉
という思いが強くなっていた唯川恵は、
歴史上の人物でモデルになりそうな人を探してみるが、
なかなかピンとくる人がおらず、
そんなときに出会った田部井淳子に魅せられ、思い切って、
「小説に書かせてほしい」
と頼んだのだという。
田部井淳子から、
「私も小説として楽しみますから、好きに書いてください」
と承諾をもらい、
2016年1月から2017年8月まで、
「信濃毎日新聞」「高知新聞」「熊本日日新聞」「秋田魁新報」「北國新聞」「中國新聞」「神戸新聞」の地方7紙に連載。
田部井淳子本人も闘病しながら愛読していたという。
だが、田部井淳子は、新聞連載中の2016年10月20日に死去。
小説を最後まで読むことは叶わなかった。
事あるごとに、
「女なんかに……」
と言われ続けてきた淳子は、
女性だけの隊で頂きを目指す。
だが、アンナプルナのときも、エベレストのときも、
準備段階から仲間内でもめ、登り始めてからもいがみ合う。
女性同士だからといって、すべてがうまくいくわけではないのだ。
単独または少人数で、ベースキャンプから一気に登って下る“アルパインスタイル”が主流になった現代では少なくなったが、
大規模で組織立ったチームを編成して行う“極地法”で登っていた当時は、
この手の葛藤が多かった。
特に、最終アタックメンバーを決めるときには、感情がむき出しとなる。
大勢で来ても、山頂に立てるのは一人か二人のことが多い。
「百万円かけて荷上げに来たわけじゃない!」
と怒り出すメンバーがいて当然なのだ。
この女同士の嫉妬、軋轢、葛藤を、
唯川恵は実に巧く描いている。
田部井淳子の著作にも、この女同士のもめごとは記されているが、
やはり当事者が書いているので、相手への遠慮や配慮があり、
それほど詳細には書かれていない。
だが、小説として描かれた『淳子のてっぺん』では、遠慮がない。(笑)
これでもか……というくらいに詳しく書かれている。
それが面白い。
きれいごとばかりではないのだ。
淳子自身の内面の葛藤も余すところなく描かれている。
女同士の葛藤という点では、今まで書いてきたものが生きたなと思いました。
と唯川恵も某インタビューで答えていたが、
こういう部分にこそ唯川恵の真骨頂があるように思った。
唯川恵が、
「小説に書かせてほしい」
と頼んだとき、田部井淳子は、
「私も小説として楽しみますから、好きに書いてください」
と答えたと先程書いたが、
実は、ひとつだけ条件を出している。
それは、
「私をヒーローにしないでね」
ということだった。
この手の小説は美談ばかりになりがちだが、
唯川恵は「人間・田部井淳子」として描いているので、
単なるヒーロー譚になっていないのがイイ。
主人公の淳子の信条は、「一歩、一歩」。
一歩、一歩の積み重ねが“登山”なのだ。
それは、標高の低い里山でも、世界最高峰のエベレストでも変わらない。
すべては一歩から始まる。淳子はそう思って山に登り続けて来た。目的に到達するために一歩踏み出す。そして、もう一歩、さらに一歩。それがどんなに小さな一歩であろうと、足を進めることで掴めるものが必ずあるはずだ。それを淳子は山で感じてきた。(7頁)
「急がなくていいの、ゆっくりでいいの、踏み出すその一歩が、生きている証なんだから」(17頁)
山登りが好きな人には、心に沁みていくる言葉だ。
「そうだよ、山にはいろんな山があるんだ。遠くから見てるだけだと、みんな同じように見えるけど、登ってみればわかる。同じ山はひとつとしてないんだ」(31頁)
このように、この小説には、アフォリズムに満ちている。
私は読書中は気に入った文章があると付箋紙を貼りながら読み進めるのだが、
この小説は付箋だらけになってしまった。
それほど心に響く言葉が多かったということになる。

最後に、タイトルの『淳子のてっぺん』だが、
淳子の“てっぺん”とはどこだったのか?
それは、247頁に、
淳子の夫・正之の言葉として出てくる。
(実際の田部井淳子の夫は田部井政伸)
この小説の、もう一人の主人公は、間違いなく、淳子の夫・正之だ。

なぜなら、この夫なくして、皆が知る“淳子”はなかったからだ。
その夫の言葉が、読者の心に沁みる。
本の帯には、
「すべての女性の背中を優しく押してくれる、感動長篇!」
と書かれているが、
女性だけでなく、男性にも読んで欲しい一冊である。
ぜひぜひ。
