※注意
ネタバレになっている箇所がありますので、
本作を見に行こうと思っていらっしゃる方は、
映画鑑賞後にお読み下さるようお願いいたします。
※「エヴェレスト」という表記について
「エヴェレスト」は「エベレスト」とも表記しますが、
本作のタイトルが「エヴェレスト」なので、
本作に関した文章には「エヴェレスト」と表記し、
引用した文章が「エベレスト」となっていたら、
そのまま「エベレスト」と表記します。
よって、このレビューの文章の中には、
両方の表記が混在することになります。
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』が、
3月12日(土)から公開されている。
ネット仲間、山仲間から、
「レビューはまだか?」
とのメールやメッセージが届いているのだが、
どうしたものか……
と迷っている。
レビューを書くべきか、書かざるべきか……と。
私の映画レビューにおける基本姿勢は、
「自分が気に入った作品しかレビューを書かない」
「批判めいたレビューになりそうな作品はブログで紹介しない」
というもの。
そういう意味で言うと、
〈映画『エヴェレスト 神々の山嶺』のレビューは書かない……〉
というのが、
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に対する私の正直な感想ということになる。
ただ、今年から、
〈見た映画はなるべく紹介しよう……〉
と年頭に所信表明したばかりだし、
褒めるにしても、そうではないにしても、
〈映画を見て私はどう思ったか?〉
を素直に書いておこうかな……という気にはなっている。
それに、
『エヴェレスト 神々の山嶺』は山岳映画でもあるし、
普段、山歩きをしている者の立場から、
感想を書いてみるのも、
そう悪いことではないようにも思った。
で、ブログ「一日の王」管理人・タクとして、
思いつくままに、書いてみることにした。
極私的意見なので、
〈そんな風に考えるヤツもいるのか……〉
というくらいに軽く読み流してもらえたら嬉しい。
原作の夢枕獏の小説は、
山関係者の間では評価が高く、
雑誌の「山岳小説特集」などでは必ず採り挙げられている作品である。
刊行からしばらく経って、小説の評価が固まった頃に、
私は本を手に取り読了したのだが、
世間の評価ほどには「傑作」とは感じられなかった。
単行本で、上下巻1000頁ちかいボリュームであったが、
改行が多く、あっさりと読み終えられたことが、
印象を薄くしたのかもしれない。
詩のような観念的な文章が多く、
濃密な文章を期待していた私は、
文体にも内容にも物足りなさを感じてしまったのだ。
映画を見に行く前に、
今一度読み返してみたのだが、
前回読んだときと印象は変わらなかった。
ただ、今度は、題材に対する古臭さを感じてしまった。
小説が刊行されてから20年近くが経過しているが、
その20年の間に、
世間のエヴェレストに対する印象が激変してしまっている。
もう、小説が書かれた頃のエヴェレストではなくなってしまっているからだ。
(いや、すでにその頃にも、その兆候はあったと思われるが……)
たとえば、私は、
2007年07月01日、
このブログ「一日の王」で、
次のような文章を書いている。
※エヴェレスト(英: Everest)は、チョモランマ(チベット語་)とも呼ばれる。
山の雑誌『山と溪谷』(7月号)を読んでいたら、チョモランマに関するニュースが載っていた。
今年の5月初めから24日までの3週間で、なんと514人が登頂したというのだ。
2008年北京五輪聖火リレーのエベレスト越えをめざす中国隊は、約250人の試登隊を送り、17人が頂上に立ったそうだ。
チョモランマの山頂が、聖火リレーのコースになっていることにも驚かされるが、それにしてもスゴイ登頂者数である。
私の地元の山・鬼ノ鼻山にはよく登るが、日曜日でもめったに人に会わない。
もしかすると、鬼ノ鼻山よりもチョモランマの方が登山者数が多いかもしれない。
この『山と溪谷』には最後の頁に、アルピニストの野口健氏がエッセイを書いているが、彼も5月15日にチョモランマに登頂したそうだ。
その野口氏のエッセイに驚くべきことが書かれている。
それにしても、この10年でチョモランマ……いやチベットは変わった。ラサは区画整理され、共産圏によくある飛行機の滑走路かと見間違えてしまうほどの大通りがいくつも並んでいた。その道ばたには巨大ショッピングセンターに高級ホテルが建ちならび、ラサからチョモランマまでの砂漠地帯の一本道も、そのほとんどにまっ黒なアスファルトが敷かれていた。
驚いたのは、チョモランマ・ベースキャンプの入口にホテルや飲食店がズラリとならび、夜には隠れ売春宿として、その趣旨を変化させる。ホテルの前を歩いているとき、チベット人女性に「泊まっていかない?」と黄色い声をかけられたときには、はたしてここがチョモランマなのかと目を疑ってしまった。
ベースキャンプには観光バスまでが乗り入れ、私たち登山隊は動物園の動物のように一般観光客にカメラを向けられた。
ベースキャンプ周辺の清掃活動を行ったら、中国隊から「オリンピック前にチョモランマにゴミがあることを公にするな」と注文がつき、「そんなことを指摘する前に、落ちているゴミのひとつでも拾え」と憤慨したそうだ。
チョモランマのノースコル(7000m付近)に登ってみたら、200張り以上のテントが張られており、至るところがロープに囲まれていたり、旗がさしてあって、さながら花見の場所取りのようだったとか。しかも酸素ボンベなどの盗難が多発していて驚いたそうだ。
いやはや、チョモランマはたいへんな事態に陥っているのである。
野口氏は、この10年でチョモランマに8回通ったとか。
だが、今回の登頂で、チョモランマは「最後」にするそうだ。
10年間、いろいろあっただけに思いが強く、去りがたいと感じつつも、これ以上荒んだ世界最高峰を見たくない。
3週間で514人の登頂者というのも驚きだが、
(現在では、エヴェレストに、すでに4000人以上が登頂に成功している)
それほど多くの登頂者がいるのには、
やはり商業登山の影響が大きい。
1990年代になると、公募隊による登山が主流となり、
アマチュア登山家であっても、
必要な費用を負担すれば容易にエベレスト登山に参加できるようになった。
あらかじめシェルパやガイドによるルート工作や荷揚げが行われるため、
本来なら必要であった登攀技術や経験を持たないまま入山することも可能になったのだ。
登山者数はますます増加する傾向にあり、
登頂のためのノウハウが蓄積されたお蔭で、
死亡率は減少傾向に、登頂成功率は上昇傾向にある。
登山者の増加にともなって、
ネパール側、チベット側の2つのノーマルルートでは渋滞が発生しており、
ヒラリー・ステップでは2時間半から4時間待ちになることもあるそうだ。
現在では多くのエヴェレスト登山ガイド隊が活動しており、
一連の登山ビジネスの活発化が、
エヴェレストに対する敬意や畏怖の念を薄れさせているようにも感じる。
エヴェレスト登頂に関しては、このように「大衆化」されてきているし、
エヴェレストのベースキャンプに至っては、もはや観光地の様相を呈している。
野口健氏のエッセイにも驚かされるが、
山岳雑誌の広告欄を見れば、
「ゆったり歩くエベレスト街道パノラマトレッキング13日間」
「エベレスト大展望 カラパタール登頂 20日間」
「ヒマラヤ8,000m峰7座一望ゴールデン・パノラマピーク登頂 16日間」
などというヒマラヤ・トレッキングツアーが目白押しで、
極端に高山病になりやすい人でなければ、
お金とヒマさえあれば、誰でも気軽に行ける時代になっているのだ。
(しかしツアー代金がかなり高額なので“誰でも”とは言えないが……)
現在のこのような状況の中、
エヴェレストを題材にした小説には古臭さを感じる。
昨年11月に公開された映画『エベレスト 3D』は、
実際に起こった大量遭難を映像化した作品だったのでそれほどでもなかったが、
フィクションにはもはや目新しさが感じられない。
小説としては、
世界第2の高峰「K2」を題材にした笹本稜平の『還るべき場所』の方が、
数段面白かったし、山岳小説としてのクオリティも高かったように思った。
原作である夢枕獏の小説を読んで、
このような感想を持った私であるので、
映画の方は、やはり不安を感じながらの鑑賞となった。
1993年ネパール、カトマンドゥ。
エヴェレスト遠征隊にカメラマンとして参加していた深町誠(岡田准一)は、
![]()
その遠征が2人の犠牲者を出して失敗に終わったことにより、
目的だった写真集もキャンセルになり、
喧騒の街をひとり彷徨っていた。
ふと立ち寄った骨董屋で古いカメラを発見するが、
それが1924年にエヴェレスト頂上を目指しながら行方不明になったジョージ・マロリーのものである可能性に気付く。
エヴェレスト登頂に初めて成功したか否かが判断できるかもしれないカメラかもしれないのだ。
![]()
だが深町の前に、
アン・ツェリンというシェルパと、
![]()
毒蛇を意味する“ビサル・サルパ”と呼ばれる大男があらわれ、
![]()
「そのカメラは自分たちから盗まれたものだ」と言って、持っていってしまう。
眼光鋭いビサル・サルパに、深町は見覚えがあった。
数年前に消息を絶った孤高の天才クライマー、羽生丈二(阿部寛)だったのだ。
![]()
〈マロリーのカメラを、なぜ羽生が持っているのか……〉
帰国した深町は、
山岳史を塗り替えるかもしれないスクープを追って、
まず羽生の過去を調べ始める。
かつての山仲間・井上真紀夫(甲本雅裕)は、
羽生の天才的な登攀センスを称えながらも、「人間は最低だ」と言い捨てる。
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そんな羽生を唯一慕ったのが、山岳会の後輩・岸文太郎(風間俊介)だった。
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だが羽生と岸が二人で登攀中に、岸が落下して死亡。
羽生がザイルを切り自分だけ助かったという噂が立ち、
以来、羽生の山は単独行になっていった。
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羽生の過去を追い続ける深町のもとに、岸の妹・涼子(尾野真千子)が訪ねてくる。
文太郎の死をきっかけに羽生と交際していた涼子もまた、
自分の前から突然消えた羽生を探していたのだ。
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涼子の紹介で、羽生のライバルであった長谷渉(佐々木蔵之介)に会った深町は、
羽生が冬のグランドジョラスで滑落し骨折しながらも、
片手片足と歯だけで奇跡の生還を果たした話を聞く。
かつて、共にエヴェレスト遠征に参加し、
羽生の山への熱情を目の当たりにした長谷は断言した。
「どこにいようと、羽生には山しかない。きっととてつもないことを狙っている。羽生にしかできないことを」
![]()
深町は、涼子と共に、再びカトマンドゥへ向かう。
羽生の居場所を突き止めるが、
彼はこの地で妻と子を持ち、別の人生を歩んでいた。
涼子は、羽生の無事を祈りながら、身を引く覚悟を決める。
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一方深町は、羽生が、
“冬季南西壁 単独無酸素登頂”という前人未踏の登攀を計画していることを知る。
深町は、羽生の挑戦を見届ける決意を固め、ベースキャンプで羽生を待ち受ける。
「俺を撮れ。俺が逃げ出さないように」
そう言い放って独り山へ向かう羽生を、
カメラを構えた深町が追う……
![]()
果たして、彼らは生きて帰ることができるのか……
![]()
映画の方は、
原作とはかなり違っていた。
良い方に違っていればイイのだが、
心配した通り、やはり、そうではない方に違っていた。
深町誠(岡田准一)と、
羽生丈二(阿部寛)と、
岸涼子(尾野真千子)の、
三人の物語として単純化されていたのだ。
小説では、深町には加代子という女がいて、
回想シーンでは度々登場する重要な女なのだが、
映画ではまった無視されている。
原作は、マロリーのカメラをめぐるサスペンス的な部分があり、
岸涼子が誘拐されたりして、
ハラハラドキドキさせられたりするのだが、
そんなシーンはないどころか、
途中からは“マロリーのカメラ”なんかどうでもよくなり、(笑)
岸涼子はひたすら昭和的な“待つ女”になり、
後半は、羽生、そして深町の登攀シーンばかりとなる。
長谷渉(佐々木蔵之介)は、
実在の伝説のクライマー・長谷川恒夫がモデルで、
1991年にウルタルII峰で遭難死しているので、
小説ではすでに亡くなっているという前提でストーリーが進行するのだが、
映画では生きている人物として車椅子で登場したのには驚かされた。
原作は1997年(平成9年)の刊行だし、
小説自体も1993年(平成5年)からスタートするので、
平成の時代の物語なのだが、
映画の登場人物のセリフは大仰で古臭く、
なんだか昔の映画『氷壁』(1958年)を見ているような気分であった。
簡単にレビューを書くつもりが、
随分と長い文章になってしまった。
語りたいことは多いが、もうこの辺で止めておこう。
以上は、あくまでも、私の極私的感想である。
重要なのは、自分の目で確かめること。
私のように屁理屈をこねないで、
素直に楽しんで鑑賞することが、
結局は映画を楽しむことであるかもしれない……のでね。
映画館へ、ぜひぜひ。
ネタバレになっている箇所がありますので、
本作を見に行こうと思っていらっしゃる方は、
映画鑑賞後にお読み下さるようお願いいたします。
※「エヴェレスト」という表記について
「エヴェレスト」は「エベレスト」とも表記しますが、
本作のタイトルが「エヴェレスト」なので、
本作に関した文章には「エヴェレスト」と表記し、
引用した文章が「エベレスト」となっていたら、
そのまま「エベレスト」と表記します。
よって、このレビューの文章の中には、
両方の表記が混在することになります。
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』が、
3月12日(土)から公開されている。
ネット仲間、山仲間から、
「レビューはまだか?」
とのメールやメッセージが届いているのだが、
どうしたものか……
と迷っている。
レビューを書くべきか、書かざるべきか……と。
私の映画レビューにおける基本姿勢は、
「自分が気に入った作品しかレビューを書かない」
「批判めいたレビューになりそうな作品はブログで紹介しない」
というもの。
そういう意味で言うと、
〈映画『エヴェレスト 神々の山嶺』のレビューは書かない……〉
というのが、
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に対する私の正直な感想ということになる。
ただ、今年から、
〈見た映画はなるべく紹介しよう……〉
と年頭に所信表明したばかりだし、
褒めるにしても、そうではないにしても、
〈映画を見て私はどう思ったか?〉
を素直に書いておこうかな……という気にはなっている。
それに、
『エヴェレスト 神々の山嶺』は山岳映画でもあるし、
普段、山歩きをしている者の立場から、
感想を書いてみるのも、
そう悪いことではないようにも思った。
で、ブログ「一日の王」管理人・タクとして、
思いつくままに、書いてみることにした。
極私的意見なので、
〈そんな風に考えるヤツもいるのか……〉
というくらいに軽く読み流してもらえたら嬉しい。
原作の夢枕獏の小説は、
山関係者の間では評価が高く、
雑誌の「山岳小説特集」などでは必ず採り挙げられている作品である。
刊行からしばらく経って、小説の評価が固まった頃に、
私は本を手に取り読了したのだが、
世間の評価ほどには「傑作」とは感じられなかった。
単行本で、上下巻1000頁ちかいボリュームであったが、
改行が多く、あっさりと読み終えられたことが、
印象を薄くしたのかもしれない。
詩のような観念的な文章が多く、
濃密な文章を期待していた私は、
文体にも内容にも物足りなさを感じてしまったのだ。
映画を見に行く前に、
今一度読み返してみたのだが、
前回読んだときと印象は変わらなかった。
ただ、今度は、題材に対する古臭さを感じてしまった。
小説が刊行されてから20年近くが経過しているが、
その20年の間に、
世間のエヴェレストに対する印象が激変してしまっている。
もう、小説が書かれた頃のエヴェレストではなくなってしまっているからだ。
(いや、すでにその頃にも、その兆候はあったと思われるが……)
たとえば、私は、
2007年07月01日、
このブログ「一日の王」で、
次のような文章を書いている。
※エヴェレスト(英: Everest)は、チョモランマ(チベット語་)とも呼ばれる。
山の雑誌『山と溪谷』(7月号)を読んでいたら、チョモランマに関するニュースが載っていた。
今年の5月初めから24日までの3週間で、なんと514人が登頂したというのだ。
2008年北京五輪聖火リレーのエベレスト越えをめざす中国隊は、約250人の試登隊を送り、17人が頂上に立ったそうだ。
チョモランマの山頂が、聖火リレーのコースになっていることにも驚かされるが、それにしてもスゴイ登頂者数である。
私の地元の山・鬼ノ鼻山にはよく登るが、日曜日でもめったに人に会わない。
もしかすると、鬼ノ鼻山よりもチョモランマの方が登山者数が多いかもしれない。
この『山と溪谷』には最後の頁に、アルピニストの野口健氏がエッセイを書いているが、彼も5月15日にチョモランマに登頂したそうだ。
その野口氏のエッセイに驚くべきことが書かれている。
それにしても、この10年でチョモランマ……いやチベットは変わった。ラサは区画整理され、共産圏によくある飛行機の滑走路かと見間違えてしまうほどの大通りがいくつも並んでいた。その道ばたには巨大ショッピングセンターに高級ホテルが建ちならび、ラサからチョモランマまでの砂漠地帯の一本道も、そのほとんどにまっ黒なアスファルトが敷かれていた。
驚いたのは、チョモランマ・ベースキャンプの入口にホテルや飲食店がズラリとならび、夜には隠れ売春宿として、その趣旨を変化させる。ホテルの前を歩いているとき、チベット人女性に「泊まっていかない?」と黄色い声をかけられたときには、はたしてここがチョモランマなのかと目を疑ってしまった。
ベースキャンプには観光バスまでが乗り入れ、私たち登山隊は動物園の動物のように一般観光客にカメラを向けられた。
ベースキャンプ周辺の清掃活動を行ったら、中国隊から「オリンピック前にチョモランマにゴミがあることを公にするな」と注文がつき、「そんなことを指摘する前に、落ちているゴミのひとつでも拾え」と憤慨したそうだ。
チョモランマのノースコル(7000m付近)に登ってみたら、200張り以上のテントが張られており、至るところがロープに囲まれていたり、旗がさしてあって、さながら花見の場所取りのようだったとか。しかも酸素ボンベなどの盗難が多発していて驚いたそうだ。
いやはや、チョモランマはたいへんな事態に陥っているのである。
野口氏は、この10年でチョモランマに8回通ったとか。
だが、今回の登頂で、チョモランマは「最後」にするそうだ。
10年間、いろいろあっただけに思いが強く、去りがたいと感じつつも、これ以上荒んだ世界最高峰を見たくない。
3週間で514人の登頂者というのも驚きだが、
(現在では、エヴェレストに、すでに4000人以上が登頂に成功している)
それほど多くの登頂者がいるのには、
やはり商業登山の影響が大きい。
1990年代になると、公募隊による登山が主流となり、
アマチュア登山家であっても、
必要な費用を負担すれば容易にエベレスト登山に参加できるようになった。
あらかじめシェルパやガイドによるルート工作や荷揚げが行われるため、
本来なら必要であった登攀技術や経験を持たないまま入山することも可能になったのだ。
登山者数はますます増加する傾向にあり、
登頂のためのノウハウが蓄積されたお蔭で、
死亡率は減少傾向に、登頂成功率は上昇傾向にある。
登山者の増加にともなって、
ネパール側、チベット側の2つのノーマルルートでは渋滞が発生しており、
ヒラリー・ステップでは2時間半から4時間待ちになることもあるそうだ。
現在では多くのエヴェレスト登山ガイド隊が活動しており、
一連の登山ビジネスの活発化が、
エヴェレストに対する敬意や畏怖の念を薄れさせているようにも感じる。
エヴェレスト登頂に関しては、このように「大衆化」されてきているし、
エヴェレストのベースキャンプに至っては、もはや観光地の様相を呈している。
野口健氏のエッセイにも驚かされるが、
山岳雑誌の広告欄を見れば、
「ゆったり歩くエベレスト街道パノラマトレッキング13日間」
「エベレスト大展望 カラパタール登頂 20日間」
「ヒマラヤ8,000m峰7座一望ゴールデン・パノラマピーク登頂 16日間」
などというヒマラヤ・トレッキングツアーが目白押しで、
極端に高山病になりやすい人でなければ、
お金とヒマさえあれば、誰でも気軽に行ける時代になっているのだ。
(しかしツアー代金がかなり高額なので“誰でも”とは言えないが……)
現在のこのような状況の中、
エヴェレストを題材にした小説には古臭さを感じる。
昨年11月に公開された映画『エベレスト 3D』は、
実際に起こった大量遭難を映像化した作品だったのでそれほどでもなかったが、
フィクションにはもはや目新しさが感じられない。
小説としては、
世界第2の高峰「K2」を題材にした笹本稜平の『還るべき場所』の方が、
数段面白かったし、山岳小説としてのクオリティも高かったように思った。
原作である夢枕獏の小説を読んで、
このような感想を持った私であるので、
映画の方は、やはり不安を感じながらの鑑賞となった。
1993年ネパール、カトマンドゥ。
エヴェレスト遠征隊にカメラマンとして参加していた深町誠(岡田准一)は、

その遠征が2人の犠牲者を出して失敗に終わったことにより、
目的だった写真集もキャンセルになり、
喧騒の街をひとり彷徨っていた。
ふと立ち寄った骨董屋で古いカメラを発見するが、
それが1924年にエヴェレスト頂上を目指しながら行方不明になったジョージ・マロリーのものである可能性に気付く。
エヴェレスト登頂に初めて成功したか否かが判断できるかもしれないカメラかもしれないのだ。

だが深町の前に、
アン・ツェリンというシェルパと、

毒蛇を意味する“ビサル・サルパ”と呼ばれる大男があらわれ、

「そのカメラは自分たちから盗まれたものだ」と言って、持っていってしまう。
眼光鋭いビサル・サルパに、深町は見覚えがあった。
数年前に消息を絶った孤高の天才クライマー、羽生丈二(阿部寛)だったのだ。

〈マロリーのカメラを、なぜ羽生が持っているのか……〉
帰国した深町は、
山岳史を塗り替えるかもしれないスクープを追って、
まず羽生の過去を調べ始める。
かつての山仲間・井上真紀夫(甲本雅裕)は、
羽生の天才的な登攀センスを称えながらも、「人間は最低だ」と言い捨てる。

そんな羽生を唯一慕ったのが、山岳会の後輩・岸文太郎(風間俊介)だった。

だが羽生と岸が二人で登攀中に、岸が落下して死亡。
羽生がザイルを切り自分だけ助かったという噂が立ち、
以来、羽生の山は単独行になっていった。

羽生の過去を追い続ける深町のもとに、岸の妹・涼子(尾野真千子)が訪ねてくる。
文太郎の死をきっかけに羽生と交際していた涼子もまた、
自分の前から突然消えた羽生を探していたのだ。

涼子の紹介で、羽生のライバルであった長谷渉(佐々木蔵之介)に会った深町は、
羽生が冬のグランドジョラスで滑落し骨折しながらも、
片手片足と歯だけで奇跡の生還を果たした話を聞く。
かつて、共にエヴェレスト遠征に参加し、
羽生の山への熱情を目の当たりにした長谷は断言した。
「どこにいようと、羽生には山しかない。きっととてつもないことを狙っている。羽生にしかできないことを」

深町は、涼子と共に、再びカトマンドゥへ向かう。
羽生の居場所を突き止めるが、
彼はこの地で妻と子を持ち、別の人生を歩んでいた。
涼子は、羽生の無事を祈りながら、身を引く覚悟を決める。

一方深町は、羽生が、
“冬季南西壁 単独無酸素登頂”という前人未踏の登攀を計画していることを知る。
深町は、羽生の挑戦を見届ける決意を固め、ベースキャンプで羽生を待ち受ける。
「俺を撮れ。俺が逃げ出さないように」
そう言い放って独り山へ向かう羽生を、
カメラを構えた深町が追う……

果たして、彼らは生きて帰ることができるのか……

映画の方は、
原作とはかなり違っていた。
良い方に違っていればイイのだが、
心配した通り、やはり、そうではない方に違っていた。
深町誠(岡田准一)と、
羽生丈二(阿部寛)と、
岸涼子(尾野真千子)の、
三人の物語として単純化されていたのだ。
小説では、深町には加代子という女がいて、
回想シーンでは度々登場する重要な女なのだが、
映画ではまった無視されている。
原作は、マロリーのカメラをめぐるサスペンス的な部分があり、
岸涼子が誘拐されたりして、
ハラハラドキドキさせられたりするのだが、
そんなシーンはないどころか、
途中からは“マロリーのカメラ”なんかどうでもよくなり、(笑)
岸涼子はひたすら昭和的な“待つ女”になり、
後半は、羽生、そして深町の登攀シーンばかりとなる。
長谷渉(佐々木蔵之介)は、
実在の伝説のクライマー・長谷川恒夫がモデルで、
1991年にウルタルII峰で遭難死しているので、
小説ではすでに亡くなっているという前提でストーリーが進行するのだが、
映画では生きている人物として車椅子で登場したのには驚かされた。
原作は1997年(平成9年)の刊行だし、
小説自体も1993年(平成5年)からスタートするので、
平成の時代の物語なのだが、
映画の登場人物のセリフは大仰で古臭く、
なんだか昔の映画『氷壁』(1958年)を見ているような気分であった。
簡単にレビューを書くつもりが、
随分と長い文章になってしまった。
語りたいことは多いが、もうこの辺で止めておこう。
以上は、あくまでも、私の極私的感想である。
重要なのは、自分の目で確かめること。
私のように屁理屈をこねないで、
素直に楽しんで鑑賞することが、
結局は映画を楽しむことであるかもしれない……のでね。
映画館へ、ぜひぜひ。