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※ネタバレしています。
原作・吉田修一、
監督・瀬々敬久というだけで、
〈見たい!〉
と思った作品であった。
吉田修一は、映画化されている作品の多い作家で、これまで、
『7月24日通りのクリスマス』(2006年)
『パレード』(2010年)
『悪人』(2010年)
『横道世之介』(2013年)
『さよなら渓谷』(2013年)
『怒り』(2016年)
などの作品が映像化されている。
しかも『悪人』『さよなら渓谷』『怒り』など傑作が多い。
映画『楽園』の原作『犯罪小説集』は、
「青田Y字路」「曼珠姫午睡」「百家楽餓鬼」「万屋善次郎」「白球白蛇伝」
の5篇からなる短編集小説集で、
映画『楽園』は、この中から、
「青田Y字路」「万屋善次郎」の2編を映画化したものである。

瀬々敬久監督には、
『感染列島』(2009年)
『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)
『アントキノイノチ』(2011年)
『64-ロクヨン- 前編/後編』(2016年)
『最低。』(2017年)
『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(2017年)
『友罪』(2018年)
『菊とギロチン』(2018年)
などの作品があり、
作品毎にややムラがあるものの、
『ヘヴンズ ストーリー』『最低。』『菊とギロチン』などの傑作をものしている監督。

出演者も、私の好きな、
綾野剛、杉咲花、片岡礼子、石橋静河などがキャスティングされており、
映画『楽園』に対する期待は弥が上にも高まった。
で、公開初日(2019年10月18日)に、映画館に駆けつけたのだった。

青田が広がる、とある地方都市。
屋台や骨董市で賑わう夏祭りの日、
一人の青年・中村豪士(綾野剛)が慌てふためきながら助けを求めてきた。

偽ブランド品を売る母親が男に恫喝されていたのだ。
仲裁をした藤木五郎(柄本明)は、
友人もおらずに母の手伝いをする豪士に同情し、職を紹介する約束を交わすが、
青田から山間部へと別れるY字路で五郎の孫娘・愛華が忽然と姿を消し、

その約束は果たされることは無かった。
必死の捜索空しく、愛華の行方は知れぬまま。
愛華の親友で、Y字路で別れる直前まで一緒にいた紡(杉咲花)は、
罪悪感を抱えながら成長する。

事件から12年後……
ある夜、
紡は後方から迫る車に動揺して転倒、
慌てて運転席から飛び出してきた豪士に助けられた。
豪士は、笛が破損したお詫びにと、新しい笛を弁償する。
彼の優しさに触れた紡は心を開き、
二人は互いの不遇に共感しあっていくが、

心を乱すものもいた。
一人は紡に想いを寄せる幼馴染の野上広呂(村上虹郎)、

もう一人は愛華の祖父・五郎だった。

そして夏祭りの日、再び事件が起きる。
12年前と同じようにY字路で少女が消息を絶ったのだ。
住民の疑念は一気に豪士に浴びせられ、
追い詰められた豪士は街へと逃れ、そこである行動に出る。

その惨事を目撃していた田中善次郎(佐藤浩市)は、

Y字路に続く集落で、亡き妻を想いながら、愛犬レオと穏やかに暮らしていた。


しかし、養蜂での村おこしの計画がこじれたことで村人から“村八分”にされ、

孤立を深めていく。

次第に正気は失われ、想像もつかなかった事件が起こる。

Y字路から起こった二つの事件、
容疑者の青年、
傷ついた少女、
追い込まれる男。
三人の運命の結末とは……

それほど悪い作品ではないのだが、
なんともモヤモヤしたものが残る作品であった。
その第一の要因は、
肝心の部分が描かれていないこと。
この映画は、
「青田Y字路」パートでは、
少女が行方不明になるのだが、
事故か事件かも判らず、
結局、事件のような扱いになるのだが、その犯人がはっきりしないこと。
ラストにそれらしき映像があるが、その映像では決め手にはならない。
また、中村豪士(綾野剛)が灯油を被って焼身自殺するのだが、
そこまでしなければならないという理由が描かれていない。

「万屋善次郎」のパートでは、
善次郎(佐藤浩市)が村八分に遭い、
村人を次々に殺害する「八ツ墓村」的な事件を扱っているのだが、
ニュースで報じられるだけで、
殺す場面も死体も描写されていない。
多分「八ツ墓村」的になることを恐れた結果だと思うが、
それならば「八ツ墓村」とは違う映像を見せなければならない。
しかも、善次郎は穏やかな性格の男で、
村八分に遭い、苦悩はするものの、殺人を犯すような男には見えない。
豪士の焼身自殺と同様、
善次郎が村人を次々と殺害しなければならなかったプロセスが描かれていない。
ホップ・ステップ・ジャンプのうち、ステップの部分が欠落しているのだ。

基本的に、映画を見るにしても、ステップがあったうえでないと、人間が“そこでジャンプしてしまう”メンタリティは、なかなか伝わりづらいものだとは思う。でもそういう段階を経た理屈じゃなくて、現実って、けっこうホップ→ジャンプだったりするもんなんじゃないかな。どうしてこんなことするの? どうしてこんなことになっちゃったの? っていうことばかりで、それを紐解いてわかろうというのは、実際、不可能に近い。(『キネマ旬報』2019年10月下旬号)
佐藤浩市は監督をこう弁護していたが、
そこを描いてこそ映像作家と言えるのではないだろうか?
そこまで観客に委ねてしまうと、それは単なる“逃げ”になってしまう。
モヤモヤしたものが残ると感じる第二の要因は、
本作の舞台設定。
「青田Y字路」は青田が広がる美しい田園地帯の話で、
子供も若者もいる。
だが、
「万屋善次郎」の方は限界集落の話なのである。
多くの人の手が入った美しい田園地帯と、
老人しかいない限界集落が隣り合わせになっているのが摩訶不思議。
ありえない設定なのである。
美しい田園地帯の住民と、限界集落の住民が、いつも交流しているのなら、
もはや限界集落ではありえない。
そもそも、二編の短篇を合わせたところに無理があったように思う。
私個人の極私的な意見を述べさせてもらえば、
「万屋善次郎」のパートはまったく不要だったと思われる。
瀬々敬久監督作品である『友罪』と同様、(コチラを参照)
佐藤浩市のパートは必要なかったと思う。
「青田Y字路」だけだったら、
豪士(綾野剛)のことも、もっと掘り下げて描けただろうし、
紡(杉咲花)の微妙な心の変化も描けていたと思う。
『楽園』という陳腐なタイトルもつけずにすんだとことと思われる。(コラコラ)
ここまで書いて、
本作『楽園』をほとんど褒めていないことに気がついた。(爆)
本来なら、レビューは書かない筈の作品なのだ。
では、なぜレビューを書いているのか?
その理由は、『友罪』のときとまったく同じなのである。
『友罪』のレビューで、私は次のように記している。
この『友罪』でも佐藤浩市のパートが不自然だった。
佐藤浩市の顔が立派すぎてタクシードライバーには見えなし、
『64 ロクヨン』のときと同じように、
佐藤浩市をもっと活躍させ、目立つようにしたかったからなのか、
佐藤浩市の登場シーンを増やしているために、
内容そのものが薄っぺらいものになっており、
他のパートとのバランスもとれなくなっている。
こう考えた時点で、
「批判ばかりになりそうな映画のレビューは書かない」ことを信条とする私は、
〈映画『友罪』のレビューは書かないでおこうか……〉
と思った。
だが、出演者個々の演技は素晴らしいのだ。
特に、瑛太、夏帆、蒔田彩珠の演技は、強く印象に残った。
レビューを書かずにスルーするには惜しいほどの演技だったので、
少しだけ(にはなっていないが)感想を書いておこうかという気になった。
本作『楽園』でも、綾野剛をはじめとする出演陣の演技は素晴らしかったのだ。
まずは、中村豪士を演じた綾野剛。

これまでは、
『新宿スワン』(2015年)
『新宿スワンII』(2017年)
『日本で一番悪い奴ら』(2016年)
『パンク侍、斬られて候』(2018年)
などでのぶっ飛んだ役柄のイメージが強かったが、
本作『楽園』で、久しぶりに、
『そこのみにて光輝く』(2014年)
『怒り』(2016年)
のときのような寡黙で繊細な神経をしている青年を演じている彼を見ることができた。
綾野剛が演じる豪士を見ながら、
私は、ポン・ジュノ監督作品『母なる照明』のウォンビンを思い出していた。
綾野剛を主役に、「青田Y字路」だけに絞って映画化したならば、
『母なる照明』のような傑作になったのではないかと、
それだけが惜しまれる。
なにしろ、本作『楽園』では、後半、綾野剛はまったく登場しないのだ。

紡を演じた杉咲花。

『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年)
での素晴らしい演技を見て以来、
常に注目している女優なのだが、
TVドラマや映画でも大活躍しているにもかかわらず、
彼女の能力をフル稼働させられる作品には恵まれておらず、
本作『楽園』(作品としてはイマイチだが)での紡役は、
『湯を沸かすほどの熱い愛』に匹敵するほどの熱演で、
久しぶりに能力全開の杉咲花を見ることができた。
瀬々敬久監督が、紡が“東京で生活するシーン”などを挿入しなければ、
もっと役柄に入り込めたのではないかと思われ、
それだけが残念であった。

その他、
善次郎を案じる集落住民の娘・黒塚久子を演じた片岡礼子や、

豪士の母・中村祥子を演じた黒沢あすかや、

善次郎の亡き妻・田中紀子を演じた石橋静河が、

見る者の心を揺さぶる演技で、作品の質を高めていた。

出演者の演技の他では、
磯見俊裕をはじめとする美術スタッフの仕事に感心した。
映画のロケ地であるY字路は、
最初は、草木が生い茂っている。

だが12年後には、コンクリート塀に囲まれたゴミ捨て場になっている。
これは、12年後の撮影のために、
あとからゴミ捨て場を作ったのだろうと思っていたら、違った。

瀬々敬久 Y字路はなかなかこれという場所が見つからなかったんですよ。撮影に使ったY字路も、コンクリート塀に囲まれたゴミ捨て場になっていたので最初はイメージに合わなかったんですけど、美術の磯見(俊裕)さんが「ここでやろう」と。
吉田修一 ええっ、本当ですか。知らなかった。綾野(剛)くんが草の生い茂ったY字路の写真を送ってくれたんですけど、あれはどういうこと?
瀬々敬久 そのときは、もう美術が草木を植えてあったんですよ。最初は過去から撮影しているから。
吉田修一 じゃあ、コンクリートを隠すように木を植えてるってことですか。
『キネマ旬報』2019年10月下旬号の瀬々敬久と吉田修一の対談で、
瀬々敬久監督がこのように真相を明かしていたが、
このY路地に限らず、
本作の映像が素晴らしいものになっているのは、
この美術スタッフと、
鍋島淳裕をはじめとる撮影スタッフのお陰であろう。

主題歌は、
野田洋次郎が作詞・作曲・プロデュースを担当した、

上白石萌音の「一縷」。

私自身、上白石萌音が好きなので、
この映画『楽園』コラボMVは何度でも見たくなる。(最後に予告編あり)
ぜひぜひ。