この映画『ナラタージュ』は、
『恋と嘘』を見た同じ日に、同じ映画館で見た。
『恋と嘘』には、森川葵、
『ナラタージュ』には、有村架純と坂口健太郎が出演しており、
自動的に、この三人が出ていたTVドラマ、
『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』つながりになった。

(そういえば、10月8日(日)の「ボクらの時代」で、有村架純と坂口健太郎と森川葵の三人が出演していて、この回はとても興味深く観ることができた)


『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は、私の好きなTVドラマで、
映画『ナラタージュ』は、
この『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に雰囲気が似ていて、
私にとっては好もしい作品であった。

大学2年生になった泉(有村架純)のもとに、
高校時代の恩師・葉山(松本潤)から、
「演劇部の卒業公演に出ないか?」
と電話がかかってくる。

泉にとって葉山は、
高校時代に学校になじめなかった自分に、
演劇部に入るように勧め、救ってくれた人物だった。

“卒業式の日の葉山とのある思い出”を心に封印した泉だったが、
再会を機に、抑えていた気持ちが膨らんでいく。

二人の想いが重なりかけたとき、
泉は葉山から離婚の成立していない妻(市川実日子)の存在を告げられる。

葉山の告白を聞き、彼を忘れようと決意した泉は、
自分を想ってくれている大学生の小野(坂口健太郎)と付き合い始める。

だが、付き合う前は穏やかな性格に見えた小野も、
肉体関係をもつと豹変し、泉を束縛するようになる。

そして、演劇部の後輩が起こしたある事件がきっかけで、
再び葉山の存在が泉の心に大きく膨らんでいくのだった……

ナラタージュとは、
「ナレーション」と「モンタージュ」をかけあわせた言葉で、
映画などで、ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法。
映画『ナラタージュ』でも、
泉(有村架純)の回想のよって、
苦い過去が語られていく。
狂おしい恋である。
自分自身が壊れてしまうほどの恋である。
相手の男はまだ離婚していないので、禁断の恋とも言える。
その“情念”ともいえる想いを、
行定勲監督は、スクリーンが黴ってしまうほどの“湿度”でじっくり描く。
爽やかな恋には、太陽が似合うが、
禁断の恋には、雨が似合う。

重要な場面では、常に雨が降っており、
水分が身体にまとわりついている。
プール、海、シャワー、涙……
身体も濡れ、心までもが“びしょ濡れ”なのである。

そこには、あの、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』(2017年4月3日~9月30日)での“みね子”はいない。

有村架純という女優は、
やはり“湿度”が似合う女優だと思う。
明るいドラマに出演しているときも、
どことなく伏し目がちで、
身体に“湿度”を纏っている。
“湿り気”を感じる。
それは、女優にとって、とても大事な部分のように感じる。

恋をすると、誰しも愚かになる。
愚かにならない恋は、本当は恋とは言えないのかもしれない。
恋をすれば狂うし、恋をすれば壊れる。
好きな人のパンティーさえ頭に被ってしまうのである。(コラコラ)
これは、恋をしている人の正常な姿である。
他人から見れば愚かな馬鹿げた行為であっても、
恋をしている当人にしてみれば、しごくまともな出来事なのだ。
一般人にとっては“誰からも祝福されるような恋”が理想だろうが、
実際のところ、そんな恋は面白くもなんともない。
小説や映画に描かれる恋は、
やはり、狂おしい禁断の恋でなければならない。
そういう意味で、『ナラタージュ』は、
まさに王道ともいうべき物語である。

泉の相手・葉山は、ズルい男である。
ダメ男と言ってもイイかもしれない。
葉山は、泉に、(わざとのように)そのダメな部分、弱い部分を見せてくる。
それに泉は鋭く反応してしまうのだ。
小説でも、映画でも、
葉山の、この狡さ加減、だらしなさ加減が絶妙で、
泉を惑わし続けるのである。
このズルい男・葉山を、松本潤が演じているが、
(「嵐」ファンの観客動員を狙ったキャスティングだと思って)
私はそれほど期待していなかったが、
これが、なかなかで、
アイドルグループにいるときとは違い、
真逆のイメージともいえる葉山を、実に巧く演じていて脅かされた。

泉と一時的に付き合うことになる小野(坂口健太郎)という大学生は、
靴職人を目指しているという設定で、(これは原作にはない)
自分のアパートで、靴の試作品を作っている。

これは、行定勲監督によれば、
「靴と恋愛は似ている」という脚本家の提案で設定したもので、
「小野は靴を作り強いて履かせるという役割」
「泉は裸足になる権利もある」
「靴はサイズが合ってピッタリと思っても、かならず靴ずれをする。靴ずれをしても気に入った靴は履き続けるけど、気に入らなかったら捨ててしまう。気に入ったものを履き続けるのが“結婚”」
との意図が秘められているとのこと。

監督の意図は別に、私はこうも考える。
小野は、泉に足のサイズを訊き、泉の足に合わせた靴を作り、履かせる。
そのときに、泉の(ということは有村架純の)の足がスクリーンにアップされる。
女性の身体の中で、足(の指)は、もっともエロティックな部位だ。
場合によっては、胸や、お尻よりも官能的だ。
有村架純と、坂口健太郎や松本潤との濡れ場はあるが、
私にとっては、靴を履くときに露わになる足が、もっともエロティックであった。
このエロティックな部分を包み込む靴こそが、
小野のモラルであり、束縛であると感じた。

原作は、小説が刊行された当時に読んでいたが、
映画鑑賞後に、もう一度読んでみた。
ラストにグッときたが、
このラストは、映画には活かされていなかった。
そういう意味で、映画鑑賞前、鑑賞後に、原作を読んでみるのも面白いだろう。

この映画のキャッチコピーは、
「あなたは、一番好きだった人を思い出す――」。
恋愛経験の少ない私でさえ、
この映画を見ている間、
映画の映像とは違う情景が、頭の中に現れては消えた。
壊れるくらい人を好きになったことのある貴女なら、
何気ない、ふとしたシーンで想い出が蘇り、涙があふれることだろう。
映画館で、ぜひぜひ。