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映画『桜、ふたたびの加奈子』 ……佐村河内守の音楽、そして広末涼子……

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今日は、登吾留山へ行ってきたのだが、
事情があって、それをこのブログに書くことはできない。
よって、本日は、
昨日、会社の帰りに見た映画『桜、ふたたびの加奈子』について述べてみようと思う。

なぜこの映画『桜、ふたたびの加奈子』を見ようと思ったか?
理由は、ふたつ。
ひとつ目は、
この映画の音楽を担当しているのが、佐村河内守であったから。
ふたつ目は、
主演が、広末涼子であったから。

ひとつ目の理由、
佐村河内守(さむらごうち・まもる)とは、いかなる人物であるか……
今年(2013年)の3月31日に、彼を特集したNHKスペシャル「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」が放送されたし、
佐村河内守が作曲した『交響曲第1番《HIROSHIMA》』が、クラシックでは異例といえるセールスを記録したりしているので、
もうすでにご存じの方も多いと思うが、
(すこし長くなるが)彼の経歴を以下に記してみたい。

1963年、被爆者を両親として広島県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)に生まれる。
4歳から母親からピアノの厳格なスパルタ教育を受ける。
その他、幼少からヴァイオリン、尺八、マリンバなどを習い、
5歳で「マリンバのためのソナチネOp.1」を作曲。
小学4年生でベートーヴェンのピアノソナタやバッハを弾きこなし、
10歳のとき「もう教えることはない」と母親から告げられて作曲家を志望。
これ以後は楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。
中学生時代は音楽求道に邁進する一方で、
学年の番長との喧嘩や他校への出張抗争を繰り返す悪童でもあった。
17歳で『交響曲第1番』の作曲に着手。
同年から原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。
崇徳高等学校卒業後に上京したが、
現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、
肉体労働者として働きつつ独学で作曲を学ぶ。
19歳の時には失職して家賃を払えなくなり、
アパートを追い出されてホームレスとなり、
半年間の路上生活を送ったこともある。
1988年、ソロのロック歌手としてデビューしたが、
その直後に音楽的理解者だった実弟を交通事故で失ったことがきっかけで、
プロダクションとの契約を解除。
以後もアマチュアのロック歌手としてバンド活動を行っていたが、
その頃から聴覚異常を発症し、
1989年、健康上の理由でバンドから脱退。
1995年から1996年まで道路清掃のアルバイトで生計を立てる。
33歳で映画『秋桜(cosmos)』の音楽を手がける。
このとき、左耳は聴力を失っていた。
35歳のとき、『鬼武者』のための音楽を作曲し始める直前に聴覚を失って全聾となる。
『鬼武者』完成後、自らの聴覚障害を初めて公表。
長らく聴覚障害を隠していた理由について、自身は、
「耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。それだけはどうしても避けたかったのです」
「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」
と説明している。
抑鬱神経症や不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く頭鳴症、耳鳴り発作、腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続ける。
特に頭鳴症による耳鳴りについて、佐村河内は、
「父と母が、そして歴史が聞いた『原爆の音』。それを私の血がいま、聞いているのかもしれません」
と述べている。
光を浴びることで偏頭痛や耳鳴りの発作が誘発されるため、自宅では暗室に籠り、
外出時には光を避けるためのつばの広い帽子とサングラスを着用することを余儀なくされている。
1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」で脚光を浴びる。
2002年、身体障害者手帳(感音性難聴による両耳全聾、身体障害者等級第1種2級、両耳鼓膜欠落)の交付を受ける。
同じ頃から盲児のための施設にてボランティアでピアノを教える(この施設の女児の一人は、佐村河内が『交響曲第1番』の作曲を再開するにあたり彼に霊感を与え、この作品の被献呈者となった)。
2003年秋、『交響曲第1番』を完成。
その直後、病苦から発作的に縊死を図るも未遂に終わる。
2005年8月、『交響曲第2番』を完成。
その翌日、再び縊死を図るもやはり未遂に終わる。
2008年9月1日、広島市の広島厚生年金会館ホールで行なわれた「G8議長サミット記念コンサート〜ヒロシマのメッセージを世界に〜」にて『交響曲第1番』の第1楽章と第3楽章が広島交響楽団により世界初演される。
同年、広島市民表彰(市民賞)を受ける。
2009年、『交響曲第1番』は芥川作曲賞の選考過程で審査員である三枝成彰が推すも最終候補とならなかった。
精神科に通院し、1日に15種類の薬を服用しつつ作曲活動を行っている。
2010年4月4日、大友直人指揮の東京交響楽団により、『交響曲第1番』(広島初演版による改訂版)の第1楽章と第3楽章が東京芸術劇場で演奏された。
同年8月14日、秋山和慶指揮の京都市交響楽団により、『交響曲第1番"HIROSHIMA"』全曲版が京都コンサートホールで演奏された。
ポップ・ミュージックに対して否定的ながら、ドアーズは例外としている。
2010年8月現在、初の愛の曲集となる『3連作弦楽四重奏曲第2番「AKAI-TSUKI」』を作曲中であることを明らかにした。
また、2005年に『交響曲第2番』を完成し、
2011年7月現在、『交響曲第3番』を作曲中であると発言している。
2011年2013年4月公開の映画「桜、ふたたびの加奈子」の音楽担当。
2012年06月25日にヴァイオリン大谷康子らが佐村河内の「無伴奏バイオリンのためのシャコンヌ」を演奏する。
2013年3月10日石巻市立湊小学校の体育館で「被災地のためのレクイエム」が初披露された。
2013年3月31日、佐村河内守を特集したNHKスペシャル「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」が放送される。
番組では、『交響曲第1番』の成功、聴力を失った苦悩、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」作曲に至る経緯などが紹介された。
(Wikipediaの記事を基に構成)


交響曲第1番《HIROSHIMA》とはいかなる曲であるか?
この動画(←クリック)を、まずは観てもらいたい。

この『交響曲第1番《HIROSHIMA》』が、
クラシックでは異例といえるセールスを記録し、
佐村河内守に注目が集まるなか、
彼の音楽にインスパイアされて制作されたのが、
本作『桜、ふたたびの加奈子』なのである。
監督は、デビュー作『飯と乙女』でモスクワ国際映画祭最優秀アジア賞(NETPAC賞)を受賞し、世界の注目を浴びる栗村実。

栗村監督と佐村河内とはもともと旧知の間柄で、
今回の映画の脚本執筆中にも、しばしば佐村河内の音楽に聴き入っていたという。
それが、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』とならぶ佐村河内の代表的なアルバム『シャコンヌ〜佐村河内守弦楽作品集』。

「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」(←クリック)

このアルバムに収められた曲に触発された粟村監督は、
映画にあわせて音楽が作られるのではなく、
音楽にインスパイアされて映画が創り上げていくという手法で映画を制作。
よって、上映中は、いつも佐村河内守の音楽が流れているのだ。

ストーリーは、
小学校入学を前にした娘・加奈子を不慮の事故で亡くした母・容子(広末涼子)の
〈亡くなった娘に会いたい〉
という一途な想いが、
数々の巡り合わせを呼び、
傷ついた人々を再生へ導く……という物語。


佐村河内守の曲は、
心地よい音楽ばかりでなく、
人の心を不安にさせる曲も挿入されているので、
ただ癒しを求めるだけではなく、
哀しみや、苦しみも、
音と映像でそれを体感してもらいたいと思う。


106分の上映時間は、
私にとって、
佐村河内守の曲を聴くコンサートの時間のようでもあった。

映像の方では、広末涼子の演技を楽しむことができた。
私は、昔は広末涼子があまり好きではなかった。
顔も声も演技も……
それが、ここ数年、見事に変貌を遂げ、
とても魅力的な女優になった。
『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(2009年)
『ゼロの焦点』(2009)
『鍵泥棒のメソッド』(2012年)
なども良かったが、
本作の広末涼子も実に素晴らしかった。


女子高生・正美を演じた福田麻由子も良かった。


まだ高校生ながらシングルマザーとして子供を産むという難しい役であったが、
とても印象的な演技をしていた。


“現代のベートーヴェン”とも評される作曲家、佐村河内守の音楽とのコラボレーションによって創り上げられた映画『桜、ふたたびの加奈子』は、
闇の中に、光の音が差し込んでくるような作品であった。
映画館で、ぜひぜひ。

NHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」は、
4月13日(土)15:05〜15:54
に再放送があるようなので、観ていない方は、こちらも、ぜひぜひ。

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