「映画は女優で見る」
と言った作家がいた。
見る映画を選択する第一の基準に、
「好きな女優が出演しているかどうか……」
を挙げていたのだ。
この意見には納得するものがあった。
私も見る映画を選択する場合、
「好きな女優が出ているかどうか」
を判断基準にすることが多かったからだ。
極端な話、
作品がつまらなくても、
好きな女優を見ることができれば、
それほど損した気分にならない……
たしかに、それはそうなのだが、
好きな女優が出ている作品を見て、
目も当てられないほどの駄作にはこれまで不思議と出会っていない。
それは何故か?
女優を好きになる場合、
容姿はもちろんだが、
彼女が出演している作品、演技力、
映画専門誌などのインタビュー記事などで得た彼女の人間性や知性に魅力を感じ、
好きになることが多い。
その女優が出演しているということは、
その映画をすでに彼女が選択しているということであり、
彼女が熟考して選択したのであれば、
よほどのことがない限り、(その女優が好きな私にとって)つまらない作品になりようがないのだ。
私が、傑作(傑作とは言わないまでも、好みの作品)に出会う確率も上がるというワケだ。
で、今回紹介する映画『アンナ・カレーニナ』も、
私の好きな女優が出ていたので見た作品。
好きな女優とは、キーラ・ナイトレイ。
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監督はジョー・ライトで、
キーラ・ナイトレイ主演の『プライドと偏見』(2005年)や『つぐない』(2007年)で有名になった監督。
両作品が大好きな私としては、
ジョー・ライト監督、キーラ・ナイトレイ主演の映画『アンナ・カレーニナ』は、
見逃すことのできない作品だったのだ。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。(新潮文庫・木村浩訳より)
この有名な文章で始まる文豪トルストイの名作『アンナ・カレーニナ』は、
トルストイの作品のなかでも最も広く諸外国で愛読されている作品である。
19世紀末、帝政末期を迎えているロシア。
政府高官を務める夫カレーニン(ジュード・ロウ)と、
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一人息子セリョージャと共に、
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サンクト・ペテルブルクに暮らすアンナ・カレーニナ(キーラ・ナイトレイ)は、
社交界に咲いた華麗な大輪の花であった。
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兄オブロンスキーの浮気が原因で壊れかけている兄夫婦の関係を修復するためにモスクワへ向かう途中、
アンナは、騎兵将校のヴロンスキー(アーロン・テイラー=ジョンソン)と出逢う。
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18歳で恋のときめきも恋の痛みも知らずに結婚したアンナにとっては、
初めての恋であった。
自制心を働かせようとするも、
舞踏会で再会したときには燃えさかる情熱を止めることができなくなっていた。
アンナは社交界も夫も捨てヴロンスキーとの愛に身を投じるが、
それは同時に破滅へと向かうことになっていく……
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恋は、「する」ものではなく、「堕ちる」もの……
と言った作家がいたが、言い得て妙。
この映画『アンナ・カレーニナ』は、
「恋に堕ちる」瞬間を描いて、
これ以上のものはないと思えるほどの秀作であった。
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恋に堕ちると、
時間が止まったようになったり、
周囲が見えなくなってしまう。
アンナとヴロンスキーが恋に堕ちる舞踏会のシーンでは、
周囲がストップモーションで止まったり、
周囲がすべて消えて、ふたりだけが踊り続ける。
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『恋におちたシェイクスピア』でアカデミー賞を受賞した脚本家トム・ストッパードによる大胆かつ斬新なシナリオ、
ダンス振付師シディ・ラルビ・シェルカウイによる独創的なダンス、
そして、美しきキーラ・ナイトレイ。
これらが見事に融合し、
「恋に堕ちる」瞬間を比類なき映像美で表現している。
この「恋に堕ちる」シーンだけでも、
映画『アンナ・カレーニナ』を見る価値は十分にある。
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トルストイの『アンナ・カレーニナ』が優れているのは、
(それは映画『アンナ・カレーニナ』にも言えることだが)
単なるアンナの悲恋物語に終わっていないこと。
アンナとヴロンスキーの報われぬ激しい恋と平行して、
リョーヴィン(ドーナル・グリーソン)とキティ(アリシア・ヴィキャンデル)の恋も描いていることである。
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虚偽に満ちた上流社会の都会生活と、
地方地主の明るい田園生活を対比させ、
アンナ個人に焦点を当てつつも、
ロシアの大地のような社会的なロマンに創り上げていることが、
作品をより印象深いものにしている。
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大胆な舞台型演出、
豪華で優雅な衣装、
人物の心の動きを表現する音楽と振付、
そして、息を呑むほど美しいキーラ・ナイトレイ。
どれもが素晴らしく、
とても贅沢な130分を過ごすことができた。
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かつて(道を踏み外すほどの)「恋に堕ちた」ことがある人は、
あの瞬間を思い出しつつ、
そして「恋に堕ちた」というほどまでの経験のない人は、
それがどういうものか目撃すべく、
映画館へぜひ足を運んでほしい。
この作品は、どちらの人間にも感動と快感を与えてくれる筈である。
と言った作家がいた。
見る映画を選択する第一の基準に、
「好きな女優が出演しているかどうか……」
を挙げていたのだ。
この意見には納得するものがあった。
私も見る映画を選択する場合、
「好きな女優が出ているかどうか」
を判断基準にすることが多かったからだ。
極端な話、
作品がつまらなくても、
好きな女優を見ることができれば、
それほど損した気分にならない……
たしかに、それはそうなのだが、
好きな女優が出ている作品を見て、
目も当てられないほどの駄作にはこれまで不思議と出会っていない。
それは何故か?
女優を好きになる場合、
容姿はもちろんだが、
彼女が出演している作品、演技力、
映画専門誌などのインタビュー記事などで得た彼女の人間性や知性に魅力を感じ、
好きになることが多い。
その女優が出演しているということは、
その映画をすでに彼女が選択しているということであり、
彼女が熟考して選択したのであれば、
よほどのことがない限り、(その女優が好きな私にとって)つまらない作品になりようがないのだ。
私が、傑作(傑作とは言わないまでも、好みの作品)に出会う確率も上がるというワケだ。
で、今回紹介する映画『アンナ・カレーニナ』も、
私の好きな女優が出ていたので見た作品。
好きな女優とは、キーラ・ナイトレイ。

監督はジョー・ライトで、
キーラ・ナイトレイ主演の『プライドと偏見』(2005年)や『つぐない』(2007年)で有名になった監督。
両作品が大好きな私としては、
ジョー・ライト監督、キーラ・ナイトレイ主演の映画『アンナ・カレーニナ』は、
見逃すことのできない作品だったのだ。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。(新潮文庫・木村浩訳より)
この有名な文章で始まる文豪トルストイの名作『アンナ・カレーニナ』は、
トルストイの作品のなかでも最も広く諸外国で愛読されている作品である。
19世紀末、帝政末期を迎えているロシア。
政府高官を務める夫カレーニン(ジュード・ロウ)と、

一人息子セリョージャと共に、

サンクト・ペテルブルクに暮らすアンナ・カレーニナ(キーラ・ナイトレイ)は、
社交界に咲いた華麗な大輪の花であった。

兄オブロンスキーの浮気が原因で壊れかけている兄夫婦の関係を修復するためにモスクワへ向かう途中、
アンナは、騎兵将校のヴロンスキー(アーロン・テイラー=ジョンソン)と出逢う。

18歳で恋のときめきも恋の痛みも知らずに結婚したアンナにとっては、
初めての恋であった。
自制心を働かせようとするも、
舞踏会で再会したときには燃えさかる情熱を止めることができなくなっていた。
アンナは社交界も夫も捨てヴロンスキーとの愛に身を投じるが、
それは同時に破滅へと向かうことになっていく……

恋は、「する」ものではなく、「堕ちる」もの……
と言った作家がいたが、言い得て妙。
この映画『アンナ・カレーニナ』は、
「恋に堕ちる」瞬間を描いて、
これ以上のものはないと思えるほどの秀作であった。

恋に堕ちると、
時間が止まったようになったり、
周囲が見えなくなってしまう。
アンナとヴロンスキーが恋に堕ちる舞踏会のシーンでは、
周囲がストップモーションで止まったり、
周囲がすべて消えて、ふたりだけが踊り続ける。

『恋におちたシェイクスピア』でアカデミー賞を受賞した脚本家トム・ストッパードによる大胆かつ斬新なシナリオ、
ダンス振付師シディ・ラルビ・シェルカウイによる独創的なダンス、
そして、美しきキーラ・ナイトレイ。
これらが見事に融合し、
「恋に堕ちる」瞬間を比類なき映像美で表現している。
この「恋に堕ちる」シーンだけでも、
映画『アンナ・カレーニナ』を見る価値は十分にある。

トルストイの『アンナ・カレーニナ』が優れているのは、
(それは映画『アンナ・カレーニナ』にも言えることだが)
単なるアンナの悲恋物語に終わっていないこと。
アンナとヴロンスキーの報われぬ激しい恋と平行して、
リョーヴィン(ドーナル・グリーソン)とキティ(アリシア・ヴィキャンデル)の恋も描いていることである。

虚偽に満ちた上流社会の都会生活と、
地方地主の明るい田園生活を対比させ、
アンナ個人に焦点を当てつつも、
ロシアの大地のような社会的なロマンに創り上げていることが、
作品をより印象深いものにしている。

大胆な舞台型演出、
豪華で優雅な衣装、
人物の心の動きを表現する音楽と振付、
そして、息を呑むほど美しいキーラ・ナイトレイ。
どれもが素晴らしく、
とても贅沢な130分を過ごすことができた。

かつて(道を踏み外すほどの)「恋に堕ちた」ことがある人は、
あの瞬間を思い出しつつ、
そして「恋に堕ちた」というほどまでの経験のない人は、
それがどういうものか目撃すべく、
映画館へぜひ足を運んでほしい。
この作品は、どちらの人間にも感動と快感を与えてくれる筈である。